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江戸の農業・商業・三都
17世紀〜19世紀前半
戦のない時代が続く中で、農業の生産が伸び、商品とお金が全国を行き来するようになりました。なぜ商人が力をもつようになったのかを見ていきます。
1分でわかる歴史江戸時代
江戸の農業・商業・三都 まとめ
1. ひとことで言うと
農業が伸び、商品が全国を流れ、三都が大都市になった。
その中で、米を中心とする武士の財政と、お金の経済のずれが大きくなった
その中で、米を中心とする武士の財政と、お金の経済のずれが大きくなった
江戸時代には、新しい田畑が開かれ、道具や肥料が工夫されて、農業の生産が大きく伸びました。各地の産物は街道や海の道を通って運ばれ、江戸・大坂・京都の三都を中心に商業が発達します。一方、幕府や大名の収入は米で納められる年貢が中心だったため、お金で物を買う経済が広がるにつれて、財政の苦しさが目立つようになっていきました。
2. 農業の発達
新田開発幕府や大名、商人などが、川の流れを変えたり、海や湖を干拓したりして、新しい田畑を開きました。田畑の面積は、江戸時代のはじめから18世紀初めごろまでに、およそ2倍に増えたとされます。
道具と肥料深く耕せる備中ぐわや、稲の穂から効率よく実を取る千歯こきなどの道具が広まりました。肥料には、干したいわし(干鰯)や油かすなど、お金で買う肥料も使われるようになります。
売るための作物木綿、菜種、藍、紅花など、売ってお金にするための作物(商品作物)がさかんにつくられるようになり、村にもお金の経済が入っていきました。
3. 三都:江戸・大坂・京都
| 都市 | よび名 | ようす |
|---|---|---|
| 江戸 | 将軍のおひざもと | 幕府が置かれ、大名や家臣、町人が集まった。18世紀には、人口が100万人ほどに達したとされる、世界でも有数の大都市 |
| 大坂 | 天下の台所 | 多くの大名が蔵屋敷を置き、年貢米や各地の産物を売ってお金にかえた。全国の商業の中心 |
| 京都 | 朝廷と寺社の町 | 天皇や公家が住み、多くの寺社があった。西陣織などの高級な手工業がさかんだった |
4. 陸の道と海の道
五街道江戸の日本橋を起点に、東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中の五街道が整えられ、宿場や関所が置かれました。大名行列だけでなく、商人や旅人、手紙を運ぶ飛脚も行き来しました。1分でわかる参勤交代と大名統制大名行列と街道
海運重い荷物を大量に運ぶには、船が欠かせませんでした。17世紀後半には、東北や日本海側から江戸や大坂へ米を運ぶ航路(東廻り・西廻り)が整えられます。大坂と江戸のあいだでは菱垣廻船や樽廻船が行き来し、日本海側と大坂を結ぶ北前船も、18世紀ごろから大きく発展しました。
5. お金と商人
幕府は、金貨・銀貨・銭(銅貨)の3種類のお金をつくりました。東日本では主に金、西日本では主に銀が使われたため、お金を両替する両替商が大きな力をもつようになります。
商人たちは、同じ商売をする者どうしで仲間(株仲間)をつくり、幕府や藩はこれを認めて税を納めさせることもありました。大名にお金を貸す大商人も現れ、商人は経済の面で大きな力をもつようになりました。こうした町人の豊かさは、文化を生む力にもなります。1分でわかる元禄文化上方の町人が生んだ文化
6. 米の財政と、お金の経済のずれ
なぜ財政が苦しくなったのか幕府や大名の収入は、百姓が米で納める年貢が中心でした。武士は、その米を売ってお金にかえ、生活に必要な物を買っていました。ところが、新田開発で米がたくさん出回ると米の値段は下がりやすく、一方で、ほかの物の値段は上がることがありました。こうして、米をもとにした財政と、お金を使う経済とのあいだにずれが生まれました。そこに出費の増加や災害なども重なり、幕府や藩は財政に苦しむようになります。
この問題をどう解決するかが、幕府がくり返し行った改革の大きなテーマの一つになりました。1分でわかる幕府の改革なぜ何度も改革したのか
7. まちがえやすいところ
- 交通や商業の発達は、参勤交代だけのおかげではない。海運や商人の活動も大きな役割を果たした。
- 村は、お金と無関係だったのではない。商品作物や買う肥料などで、村にもお金の経済が広がった。
- 武士は、米さえあれば暮らせたのではない。米を売ってお金にかえる必要があった。
- 身分と経済力は、同じではない。支配する身分は武士だったが、大名にお金を貸す商人もいた。
8. 1分で深掘り
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