1分でわかる
鎌倉時代
1180年代〜1333年(始まりは段階的)
武士が自分たちの政権をつくり、約150年のあいだに形を変えながら続いた時代。朝廷と並び立つ、もうひとつの政治の中心が鎌倉に生まれました。
1分でわかる歴史鎌倉時代
鎌倉時代 まとめ
1. ひとことで言うと
武士が、自分たちのための政権を鎌倉につくった。
それは約150年のあいだに、担い手もしくみも変わっていった
それは約150年のあいだに、担い手もしくみも変わっていった
源頼朝は、東国の武士たちをまとめ、鎌倉に武士の政権(鎌倉幕府)をつくりました。ただし、京都の朝廷がなくなったわけではありません。鎌倉時代は、朝廷と幕府という二つの政治の中心が、協力し、ときに争いながら並び立った時代です。幕府の中心は、やがて将軍から北条氏へと移り、承久の乱や元寇を経て、しくみも社会も大きく変わっていきました。
2. 鎌倉幕府は、いつ始まった?
幕府は、ある年に一度にできたのではなく、段階をふんで形になりました。
| 年 | できたこと |
|---|---|
| 1180年 | 頼朝が兵を挙げ、鎌倉を拠点にする。武士をまとめる侍所を置く |
| 1183年 | 朝廷から、東国の支配を認められる |
| 1185年 | 守護・地頭を置くことを、朝廷に認めさせる |
| 1192年 | 頼朝が征夷大将軍になる |
以前は1192年が広く使われ、現在は1185年とする説明が多く見られます。どの段階を重く見るかによって、答えが変わるのです。
3. つながりで見る約150年
- 源平の争乱平氏への反発から、各地の武士が兵を挙げる。頼朝は京都へ行かず、鎌倉で東国の武士をまとめた。→ 源頼朝と鎌倉幕府
- 将軍と御家人頼朝は、武士たちの土地を守り、手がらに土地で報いた。武士たちは、そのために戦った。この結びつきが幕府の土台になる。→ 御家人と鎌倉幕府のしくみ
- 北条氏の時代へ頼朝の死後、有力な御家人どうしの争いが続き、源氏の将軍は3代で途絶える。頼朝の妻・北条政子の実家、北条氏が執権として幕府を動かすようになる。
- 承久の乱(1221年)後鳥羽上皇が兵を挙げるが、幕府が勝つ。幕府の力は西国にも広がり、京都には六波羅探題が置かれた。→ 承久の乱と執権政治
- 御成敗式目(1232年)増えた土地争いを公平に裁くため、武士のための法がつくられる。
- 元寇(1274年・1281年)元(モンゴル)の軍が二度攻めてくる。御家人たちが防ぎ、九州の守りは長く続いた。→ 元寇と鎌倉幕府
- ゆらぎ御家人の暮らしは苦しくなり、幕府の力は北条氏の本家に集中していく。朝廷では、天皇の位をめぐる争いも続いた。
- 幕府の滅亡(1333年)後醍醐天皇が幕府を倒そうとし、足利尊氏や新田義貞ら、幕府に仕えていた武士たちも加わって、幕府は滅びた。→ 鎌倉幕府はなぜ滅びた?
一つのできごとが、次のできごとをすべて決めたわけではありません。武士の暮らし、朝廷との関係、外国との戦い、幕府の中の力関係が重なり合いながら、時代は動いていきました。
4. 7つの疑問に、ひとことで
| 疑問 | ひとことで |
|---|---|
| なぜ鎌倉? | 源氏とゆかりが深く、東国の武士をまとめやすく、守りやすい土地だった |
| 頼朝は何をつくった? | 武士の土地を守り、争いを裁き、戦いに動員する、武士のための政権 |
| 御恩と奉公とは? | 土地を守ってもらう代わりに、命がけで仕えるという結びつき |
| 北条氏はなぜ強い? | 将軍の親族として、有力な御家人との争いに勝ち、執権として幕府を動かした |
| 承久の乱で何が変わった? | 幕府の力が西国にも及び、朝廷との力関係が大きく変わった |
| 元寇は「神風」で勝った? | 暴風雨だけでなく、御家人の戦いや防塁などの守りも大きかった |
| 幕府はなぜ滅びた? | 原因はひとつではない。御家人の苦しさ、北条氏への不満、朝廷の動きなどが重なった |
5. 信仰と文化も動いた
新しい仏教と、武士の文化法然・親鸞・日蓮・一遍、そして禅を伝えた栄西・道元。平安時代から続く仏教の流れの中から、わかりやすく実践しやすい教えが生まれ、武士や庶民にも少しずつ広がりました。焼けた東大寺の再建や、運慶・快慶の力強い仏像も、この時代のものです。1分でわかる鎌倉の新しい仏教と文化6人の僧と、東大寺の再建、『平家物語』まで
6. まちがえやすいところ
- 鎌倉幕府ができても、朝廷はなくならなかった。京都には天皇や上皇、貴族がいて、政治や荘園の支配を続けた。
- 幕府の成立は、「正解の一年」を決めるものではない。1180年から1192年にかけて、段階的に形になった。
- 北条氏は、将軍にはならなかった。執権として、将軍を支える形で幕府を動かした。
- 「元寇の恩賞が足りなかったから滅びた」だけではない。幕府がゆらいだ理由は、いくつも重なっていた。
7. 次の時代へ:建武の新政、そして室町時代
1333年に幕府が滅びると、後醍醐天皇は、天皇が自ら政治を行う建武の新政を始めました。しかし、武士たちの不満が高まり、新政は長く続きませんでした。やがて足利尊氏が新しい武士の政権をつくり、室町時代へと移っていきます。
8. つながる時代
ひとつ前の時代:1分でわかる平安時代天皇と貴族の都の時代から、武士の台頭まで 1分でわかる院政から平氏の台頭へ武士が政治の中心へ近づいていった道すじ関連テーマ:鶴岡八幡宮/六波羅探題/御成敗式目/防塁/東大寺南大門
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