鎌倉幕府はなぜ滅びた?

1分でわかる

鎌倉幕府はなぜ滅びた?

13世紀末〜1334年(鎌倉時代の終わり → 室町時代へ)
約150年続いた鎌倉幕府は、なぜ終わったのか。いくつもの変化が重なった末の、1333年を見ていきます。
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1分でわかる歴史鎌倉時代 → 室町時代

鎌倉幕府はなぜ滅びた? まとめ

1. ひとことで言うと

御家人の暮らしの苦しさ、北条氏への不満、朝廷の動き。
いくつもの変化が重なったところに、後醍醐天皇の挙兵が火をつけた

鎌倉幕府は、将軍と御家人の「御恩と奉公」の結びつきに支えられていました。13世紀の終わりごろから、その結びつきを支える土地と暮らしがゆらぎ、幕府の中では北条氏の本家に力が集まっていきます。朝廷でも、天皇の位をめぐる争いが続いていました。こうした中で後醍醐天皇が幕府を倒そうと動き、幕府に仕えていた有力な武士たちまでがそれに加わったことで、1333年、鎌倉幕府は滅びました。

2. 重なっていた背景

① 御家人の暮らしが苦しくなった土地を子どもたちで分けて受けつぐ分割相続がくり返され、一人ひとりの土地は小さくなっていました。お金を使う経済が広がる中で、借金をして土地を手放す御家人も増えました。1分でわかる御家人と鎌倉幕府のしくみ分割相続と、御恩と奉公
② 元寇のあとの負担元寇では、戦いのあとも守りの負担が続き、恩賞も十分には与えられませんでした。1分でわかる元寇と鎌倉幕府二度の戦いと、そのあとに残ったもの
③ 北条氏の本家への力の集中北条氏の本家(得宗)と、その家来たちが幕府の重要なことを決めるようになり、ほかの御家人たちの不満が高まりました。1285年には、有力な御家人の安達泰盛が、得宗の家来に滅ぼされる事件も起きています(霜月騒動)。
④ 地方での新しい動き畿内やその周辺では、荘園の持ち主や幕府に従わない武士たちが「悪党」とよばれ、各地で力をふるうようになりました。
⑤ 朝廷の中の争い天皇家は二つの系統に分かれ、交代で天皇の位につくことになっていました。その決定には幕府もかかわっており、自分の系統に位を伝えたい後醍醐天皇は、幕府の存在を大きな壁と感じるようになります。

3. 永仁の徳政令(1297年)

幕府は、御家人を救うために、売ったり質に入れたりした土地を、御家人が取りもどせるようにする命令を出しました。しかし、そのあと御家人はお金を借りにくくなるなど、混乱も生まれ、命令の一部は翌年には取りやめられました。幕府にとって、御家人の暮らしを立て直すことは簡単ではありませんでした。

4. 幕府が倒れるまで

年できごと
1318年後醍醐天皇が即位する
1324年幕府を倒す計画がもれ、失敗する(正中の変)
1331年後醍醐天皇が再び兵を挙げるが敗れ、翌年、隠岐へ流される(元弘の変)。楠木正成や、天皇の子の護良親王らが戦い続ける
1333年後醍醐天皇が隠岐を脱出。幕府に命じられて京都へ向かった足利尊氏(当時は高氏)が天皇の側につき、六波羅探題を攻め落とす。関東では新田義貞が鎌倉を攻め、北条氏の一族は自害し、鎌倉幕府は滅びる

決め手になったのは、足利尊氏や新田義貞といった、もともと幕府に仕える有力な御家人が、幕府に背を向けたことでした。多くの武士が、幕府に見切りをつけていたのです。

5. 「原因はこれ」と一つに決めない

鎌倉幕府の滅亡は、「元寇で恩賞がもらえなかったから」といった一つの理由だけでは説明できません。御家人の暮らし、幕府の中の力のかたより、地方の変化、朝廷の中の争いなど、何十年もかけて積み重なった変化の上に、後醍醐天皇の動きと、有力な武士たちの離反が重なった結果でした。

6. 建武の新政から、室町時代へ

1333年、鎌倉幕府が滅びると、後醍醐天皇は、天皇が自ら政治を行う新しい政治を始めました。翌1334年に「建武」と改元したため、この政治を建武の新政とよびます。しかし、手がらに応じた恩賞や土地の扱いなどをめぐって、武士たちの不満が高まり、足利尊氏が新政から離れていきます。新政は2年ほどでくずれ、時代は室町時代へと移っていきました。

7. まちがえやすいところ

  • 元寇のすぐあとに、幕府が滅びたのではない。弘安の役(1281年)から滅亡(1333年)まで、50年以上ある。
  • 足利尊氏は、はじめは幕府の側の武士だった。京都へ向かう途中で、天皇の側についた。
  • 六波羅探題を攻めたのは足利尊氏、鎌倉を攻めたのは新田義貞。
  • 「悪党」は、今の「悪い人」という意味とは少しちがう。荘園の持ち主や幕府に従わない者たちを指した。

8. 1分で深掘り

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関連テーマ:得宗/永仁の徳政令/後醍醐天皇/楠木正成/建武の新政

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