平安時代

1分でわかる

平安時代

794年〜12世紀末(終わりの区切り方には幅があります)
都が平安京にあった、およそ400年。天皇と貴族の政治、新しい仏教、日本らしい文化、地方の変化と武士の成長が、重なり合いながら進んだ時代です。
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1分でわかる歴史平安時代

平安時代 まとめ

1. ひとことで言うと

天皇と貴族が治める都の時代から、
武士が政治の中心へ近づいていくまでの、およそ400年

794年、桓武天皇は都を平安京(いまの京都市)へ移しました。ここから、鎌倉に武士の政権ができるまでのおよそ400年が平安時代です。はじめは律令の国を立て直そうとする時代でしたが、やがて藤原氏が天皇に代わって政治を動かすようになり、かな文字や『源氏物語』など日本らしい文化が育ちます。その一方で、地方では土地のしくみが変わり、武装した人びとが力をつけていきました。最後は、上皇が政治を動かす院政のもとで、平氏が政治の中心にまで上りつめます。

長い時代なので、ひとつの流れだけで説明することはできません。政治、土地と地方、文化と信仰の変化が、同時に、少しずつ進んでいきました。

2. 3つの時期で見る

前期(8世紀末〜9世紀):律令の国を立て直す桓武天皇が平安京をつくり、東北地方へ軍を送ります。最澄と空海が唐から新しい仏教を持ち帰りました。律令のしくみを、現実に合わせて手直ししていった時期です。
中期(10世紀〜11世紀半ば):藤原氏と国風文化藤原氏が摂政・関白として政治を動かし、11世紀前半の藤原道長・頼通のころに最も栄えます。かな文字の文学が花開く一方、地方では国司に任せる政治が進み、平将門や藤原純友の反乱も起こりました。
後期(11世紀後半〜12世紀):院政と武士の時代へ天皇の位をゆずった上皇が政治を動かす院政が始まります。上皇や貴族の争いを武士の力で決着させる時代になり、平清盛が武士として初めて太政大臣になりました。

3. 同時に進んでいた変化

平安時代の変化は、一本の線ではありません。3つの分野を横に並べると、同じころに何が起きていたかが見えてきます。

時期都の政治土地と地方文化と信仰
前期桓武天皇が平安京へ。律令のしくみを手直しする東北地方で蝦夷との戦い。田を貸すしくみは続けにくくなっていく最澄・空海の新しい仏教。唐の文化の影響が強い
中期藤原氏が摂政・関白として政治を動かす国司(受領)に地方の政治を任せる。各地で武装した人びとが力をつけるかな文字、『源氏物語』『枕草子』。極楽浄土を願う信仰が広がる
後期上皇による院政。やがて平氏が政治の中心へ荘園が大きく広がる。東北や各地で、武士の結びつきが強まる浄土信仰が地方にも広がる。中尊寺金色堂など

4. 6つの「なぜ?」から読む

① なぜ、奈良から京都へ都を移したの?理由はひとつではありません。新しい政治を始めたいという思い、水運の便、長岡京で続いた事件など、いくつもの事情が重なりました。1分でわかる平安京と桓武天皇長岡京から平安京へ。東北での戦いまで
② 平安時代の仏教は、奈良と何がちがう?最澄と空海は、都から離れた山を拠点に、修行と新しい教えを広めました。1分でわかる最澄と空海・平安の仏教天台宗と真言宗、密教とは何か
③ 藤原氏は天皇ではないのに、なぜ強かった?娘を天皇のきさきにし、生まれた皇子が天皇になると、その祖父として政治を支えました。1分でわかる藤原氏と摂関政治摂政・関白、藤原道長と頼通
④ 遣唐使をやめたら、文化はどう変わった?中国の文化をやめたのではなく、それまでに学んだものを、日本の暮らしや感覚に合わせて育てていきました。1分でわかる国風文化と平安のくらしかな文字、紫式部と清少納言、浄土信仰
⑤ 武士は、どこから出てきた?地方の有力者が武装したこと、都の武芸の家がらが地方に広がったことなど、いくつもの流れがありました。1分でわかる荘園と武士の成長国司と受領、平将門の乱、源氏と平氏
⑥ 平清盛は、なぜ政治の中心まで上がれた?上皇や貴族の争いが武士の力で決まるようになり、清盛はその中で朝廷の中に地位を築きました。1分でわかる院政から平氏の台頭へ白河上皇、保元・平治の乱、平清盛

5. 節目の年

約400年のうち、流れをつかむための節目だけを選んでいます。

年できごと
794年桓武天皇が、平安京へ都を移す
9世紀はじめ最澄が天台宗を、空海が真言宗を開く
9世紀後半藤原良房・基経が、摂政・関白の地位につく
894年遣唐使の派遣が取りやめられる
939年ごろ関東で平将門、瀬戸内で藤原純友が反乱を起こす
1016年藤原道長が摂政になる
1086年白河上皇が院政を始める
1156年保元の乱
1159年平治の乱
1167年平清盛が太政大臣になる
1185年壇ノ浦の戦いで平氏が滅びる

6. 平安時代は、いつ終わった?

始まりは、794年の平安京遷都とするのが一般的です。一方、終わりの区切り方にはいくつかの考え方があります。

ひとつの年に決めない見方が広がっている源頼朝が兵を挙げて鎌倉を拠点にした1180年、守護・地頭を置くことが認められた1185年、征夷大将軍になった1192年など、武士の政権は段階をふんで形づくられました。以前は1192年が広く使われ、現在は1185年とする説明が多く見られます。このページでは、12世紀の終わりごろに、少しずつ鎌倉時代へ移っていったと考えます。

7. まちがえやすいところ

  • 平安時代は、ずっと藤原氏の時代だったのではない。藤原氏が最も栄えたのは中ごろ。前期は桓武天皇たちが、後期は上皇が政治の中心にいた。
  • 「摂関政治が衰えたから武士の時代になった」と一本の線で考えない。地方の変化、武士の成長、院政など、いくつもの変化が重なった。
  • 遣唐使をやめて、中国の文化を捨てたのではない。商人を通じた交流は続き、漢字や漢文も使われ続けた。
  • 平安時代の人びとは、貴族ばかりではない。多くの人は、都や地方で農業などを営んでいた。

8. 次の時代へ:鎌倉時代

平氏が滅びたあと、源頼朝を中心とする武士の政権が、鎌倉を拠点に形づくられていきます。朝廷と貴族はそのあとも京都に残りましたが、武士が政治の大きな担い手となる、鎌倉時代が始まりました。

9. つながる時代

ひとつ前の時代:1分でわかる奈良時代平城京と、律令にもとづく国のしくみ

関連テーマ:平安京/比叡山延暦寺/平等院鳳凰堂/中尊寺金色堂/厳島神社

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