平安京と桓武天皇

1分でわかる

平安京と桓武天皇

781年〜9世紀はじめ
なぜ、奈良から京都へ都を移したのか。新しい都で、桓武天皇は何を変えようとしたのか。
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1分でわかる歴史平安時代

平安京と桓武天皇 まとめ

1. ひとことで言うと

桓武天皇は、都を二度移し、東北へ軍を送った。
奈良時代の行きづまりを立て直し、新しい政治を始めるためだった

奈良時代の終わりは、貴族や寺の力が強まり、天皇の位をめぐる争いも続いた時代でした。781年に即位した桓武天皇は、784年に長岡京、794年に平安京へと都を移し、東北地方の蝦夷とよばれた人びとの土地へ軍を送ります。都づくりと戦いという二つの大事業は、国の力を示すものであると同時に、人びとに大きな負担もかけました。

2. なぜ、都を移したのか

理由はひとつではなく、いくつもの事情が重なっていたと考えられています。

新しい天皇の系統として、新しい出発を奈良時代の天皇は、長く天武天皇の子孫が続いていました。桓武天皇の父・光仁天皇は、天智天皇の孫です。天皇の系統が変わったことを示す、新しい都が求められたとみる考えがあります。1分でわかる奈良時代平城京の約80年と、そのほころび
寺と政治の距離を取り直す奈良時代には、僧の道鏡が政治に深くかかわるなど、寺と政治の結びつきが強まっていました。平城京の大きな寺は、新しい都には移されませんでした。ただし、桓武天皇は仏教そのものを遠ざけたわけではなく、最澄など新しい仏教を支えています。
川を使った交通の便長岡京や平安京のある山背国(のちの山城国)は、桂川・宇治川・淀川などの水運を使いやすく、物を運ぶのに便利な土地でした。

3. 長岡京から平安京へ

  1. 781年桓武天皇が即位する。
  2. 784年平城京から、長岡京(いまの京都府向日市・長岡京市など)へ都を移す。
  3. 785年都づくりの責任者だった藤原種継が暗殺される。天皇の弟の早良親王が疑われ、皇太子の地位を追われて、流される途中で亡くなる。
  4. そのあと天皇の身近な人びとの病気や死、洪水などが続く。早良親王のたたりを恐れる気持ちも広がったとされる。
  5. 794年長岡京をわずか10年で離れ、平安京へ都を移す。

長岡京から再び都を移した理由にも、事件や災害、怨霊への恐れ、土地の条件など、いくつかの見方があります。

4. 平安京というまち

ところようす
形唐の長安などにならい、碁盤の目のように区画された。東西約4.5km、南北約5.2km
朱雀大路都の中央を南北に通る大通り。東側を左京、西側を右京とよぶ
大内裏北の中央にあり、天皇の住まいや役所が集まった
東寺と西寺都の南の入口・羅城門の東西に置かれた、国の寺。都の中に置かれた寺は、原則としてこの二つだけだった
へえ右京は、早くさびれた都の西側の右京は湿った土地が多く、人が住まなくなっていきました。人びとは左京やその外側に集まり、今の京都の中心も、もとの平安京より東へ広がっています。

5. 東北への軍:蝦夷と坂上田村麻呂

朝廷は、東北地方に住み、朝廷に従わない人びとを「蝦夷(えみし)」とよび、奈良時代から支配を広げようとしていました。

年できごと
789年朝廷の大軍が、阿弖流為(あてるい)らの率いる蝦夷の軍に大敗する
797年坂上田村麻呂が、征夷大将軍になる
802年胆沢城(いまの岩手県奥州市)を築く。阿弖流為が降伏する

朝廷から見れば「支配を広げる戦い」でしたが、蝦夷の人びとから見れば、自分たちの土地と暮らしを守る戦いでした。降伏した阿弖流為は、田村麻呂が命を助けるよう願ったものの、処刑されたと伝えられます。

6. 二つの大事業の打ち切り

都づくりと東北での戦いは、兵や働き手、物資を集めるため、人びとに重い負担をかけました。805年、天皇は貴族たちに議論させ、その結果、二つの事業を打ち切ります(徳政相論)。

桓武天皇は、地方の役人の交代を監督する勘解由使を置いたり、多くの地域で農民から兵を集めるのをやめ、郡司の子弟などから選んだ健児を置いたりして、律令のしくみを現実に合わせて手直ししていきました。こうした見直しは、次の天皇たちにも引きつがれます。

7. まちがえやすいところ

  • 「寺から逃げるためだけに」都を移したのではない。系統の変化、交通の便、長岡京での事件など、いくつもの事情があった。
  • 平城京から、いきなり平安京へ移ったのではない。間に、10年ほどの長岡京がある。
  • 「蝦夷」は、朝廷の側からの呼び名。東北に住んでいた人びとが、自分たちでそう名のったわけではない。
  • 征夷大将軍は、はじめから武士の政権の長だったのではない。もとは、蝦夷と戦う軍を率いる役職だった。

8. 1分で深掘り

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関連テーマ:長岡京/羅城門/東寺/阿弖流為/胆沢城

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