飛鳥時代

1分でわかる

飛鳥時代

6世紀末ごろ〜710年
豪族が大きな力をもつ国から、天皇を中心とする律令国家へ。仏教と大陸の知識、国内の争い、東アジアの戦争が重なりながら、国のしくみが形になっていった時代です。
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1分でわかる歴史飛鳥時代

飛鳥時代 まとめ

1. ひとことで言うと

豪族が大きな力をもつ国から、天皇を中心とする律令国家へ。
およそ120年をかけて、国のしくみが形になっていった時代

飛鳥時代は、奈良盆地の南部の飛鳥(いまの奈良県明日香村のあたり)に、天皇の宮が多く置かれた時代です。古墳時代から続くヤマト政権(資料では「ヤマト王権」と表現されることもあります)は、大王(のちの天皇)を、蘇我氏などの有力な豪族たちが支える形で動いていました。この時代に、仏教や中国・朝鮮半島の制度が取り入れられ、豪族どうしの争いや東アジアでの戦争を経ながら、701年の大宝律令へとたどり着きます。ただし、それは最初から決まっていた一本道ではなく、いくつもの動きが重なった結果でした。

飛鳥時代の始まりには、区切り方があります推古天皇が即位した592年や、厩戸王(聖徳太子)が政治に加わったとされる593年を目安にする説明などがあり、資料によって表し方が少しちがいます。このページでは「6世紀末ごろ」から、710年に都が平城京へ移るまでを扱います。

2. 流れでたどる

  1. ヤマト政権と豪族大王のもとで、蘇我氏・物部氏・大伴氏などの豪族が、それぞれの役割と大きな力をもっていた。
  2. 仏教と大陸の文化6世紀中ごろ、百済から仏教が伝わる。受け入れをめぐる争いのあと、587年に蘇我氏が物部氏を倒し、飛鳥寺などの寺がつくられていく。
  3. 推古天皇の時代推古天皇のもとで、厩戸王(聖徳太子)と蘇我馬子が政治を進める。冠位十二階、十七条憲法、遣隋使。
  4. 蘇我氏と乙巳の変蘇我氏の力がさらに強まるなか、645年、中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒す。
  5. 大化の改新新しい政治をめざす改革が始まる。ただし645年に完成したのではなく、長い時間をかけて進んでいった。
  6. 白村江と国づくりの加速663年、百済を助けた倭の軍が、唐・新羅の軍に大敗する。守りを固めるとともに、戸籍づくりなど国の中のしくみづくりも急がれた。
  7. 天武天皇と持統天皇672年の壬申の乱に勝った天武天皇と、あとを継いだ持統天皇のもとで、天皇を中心とする国のしくみが形になっていく。
  8. 藤原京と大宝律令694年に藤原京へ都を移し、701年に大宝律令ができる。律令にもとづく国のしくみが整う。
  9. 奈良時代へ710年、都が平城京へ移る。

順番に並べていますが、ひとつのできごとが次のできごとを自動的に生んだわけではありません。豪族どうしの争い、東アジアの動き、仏教や新しい知識など、いくつもの流れが重なって、国のしくみが変わっていきました。

3. 5つのテーマで読む

① 推古天皇の時代:新しい国づくりの始まり冠位十二階や十七条憲法、遣隋使。隋(中国)に学びながら、豪族を役人としてまとめる考え方が取り入れられはじめました。1分でわかる聖徳太子と推古朝の国づくり推古天皇・厩戸王・蘇我馬子が進めたこと
② 仏教と文化:何が伝わり、何が変わった?仏教は、信仰とともに、寺をつくる技術や文字、国を治める考え方も運んできました。法隆寺に代表される飛鳥文化、7世紀後半の白鳳文化も、この時代の主役です。1分でわかる仏教伝来と飛鳥・白鳳の文化蘇我氏と物部氏、寺づくり、国づくりとのかかわり
③ 改革:乙巳の変と大化の改新645年の「事件」と、そこから長く続いた「改革」は、分けて考えるとつかみやすくなります。1分でわかる乙巳の変と大化の改新蘇我氏が倒れたあと、何が変わりはじめたのか
④ 東アジア:白村江の戦い唐と新羅が手を結び、百済と高句麗が滅びる。朝鮮半島の大きな変化は、倭の国づくりにも強い影響をあたえました。1分でわかる白村江の戦いと東アジア敗戦のあと、倭はどう守りを固めたのか
⑤ 仕上げ:天武・持統と律令国家壬申の乱、藤原京、大宝律令。天皇を中心とする国のしくみが、形になっていきました。1分でわかる天武・持統と律令国家壬申の乱から、大宝律令と平城京まで

4. 年表で確かめる

年できごと
6世紀中ごろ百済から仏教が伝わる(538年説と552年説がある)
587年蘇我馬子らが、物部守屋を倒す
592年推古天皇が即位する
603年冠位十二階を定める
604年十七条憲法を定める
607年小野妹子を隋へ送る(遣隋使)
645年乙巳の変。大化の改新が始まる
663年白村江の戦い
667年近江大津宮へ都を移す
672年壬申の乱
694年藤原京へ都を移す
701年大宝律令ができる
710年平城京へ都を移す(奈良時代へ)

5. 名前に注意したい人たち

同じ人なのに、呼び名が変わる人がいます。ここでつまずくと、流れが見えにくくなります。

名前もうひとつの名前
厩戸王聖徳太子。「聖徳太子」は、亡くなったあとに広まった呼び名とされる
中大兄皇子天智天皇。668年に正式に即位した
大海人皇子天武天皇。天智天皇の弟
中臣鎌足藤原鎌足。亡くなる直前に「藤原」の姓を授けられ、藤原氏の祖となった
皇極天皇斉明天皇。一度位をゆずったあと、もう一度即位したときの名前

持統天皇は、天智天皇の娘で、天武天皇の皇后でした。

6. 文化も、この時代の主役

古墳から、寺へ古墳時代には大きな古墳が力の象徴でしたが、飛鳥時代には、豪族や天皇が寺を建てるようになります。寺は信仰の場であると同時に、瓦や建築、仏像づくりなど、新しい技術が集まる場所でもありました。
飛鳥文化と白鳳文化7世紀前半を中心とする飛鳥文化は、朝鮮半島や中国の南北朝の影響を受けた仏教文化です。7世紀後半を中心とする白鳳文化では、唐の影響が強まっていきます。
へえ現存する世界最古の木造建築群法隆寺の建物は、現存する世界最古の木造建築群として知られ、1993年、日本で最初に登録された世界遺産のひとつになりました。

7. まちがえやすいところ

  • 飛鳥時代は、聖徳太子ひとりの時代ではない。推古天皇や蘇我馬子、そのあとの天皇や豪族たちが、それぞれの立場で国づくりにかかわった。
  • 乙巳の変と大化の改新は、同じではない。乙巳の変は645年の事件。大化の改新は、そのあとに続いた改革。
  • 律令国家は、ある年に一気にできたのではない。100年近い積み重ねの上に、701年の大宝律令がある。
  • 白村江で倭が助けたのは百済。戦った相手は、唐と新羅。
  • 天智天皇と天武天皇を逆にしない。天智=兄=中大兄皇子。天武=弟=大海人皇子。
  • 大宝律令ができたのは、文武天皇のとき。持統天皇が位をゆずったあとの701年。

8. 次の時代へ:奈良時代

710年、都は藤原京から平城京へ移ります。飛鳥時代に形になった律令のしくみが、平城京を舞台に実際に動いていくのが、奈良時代です。

9. つながる時代

ひとつ前の時代:1分でわかる古墳時代巨大な古墳と、ヤマト政権のまとまり 次の時代:1分でわかる奈良時代平城京と、律令にもとづく国のしくみ

関連テーマ:飛鳥寺/法隆寺/藤原京/大宝律令

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