仏教伝来と飛鳥・白鳳の文化

1分でわかる

仏教伝来と飛鳥・白鳳の文化

6世紀中ごろ〜8世紀はじめ
百済から伝わった仏教は、信仰だけでなく、寺をつくる技術や文字、国を治める考え方もいっしょに運んできました。
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1分でわかる歴史飛鳥時代

仏教伝来と飛鳥・白鳳の文化 まとめ

1. ひとことで言うと

仏教は、信仰であると同時に、新しい技術と知識のかたまりだった。
寺づくりとともに、飛鳥の文化が生まれた

6世紀中ごろ、百済から仏教が伝わりました。仏教を受け入れるかどうかは、豪族のあいだの争いともかかわりながら進み、やがて各地に寺が建てられていきます。寺をつくるには、建築、瓦、仏像、文字など、多くの技術と知識が必要でした。仏教は、人びとの信仰を変えただけでなく、国づくりや文化にも大きな影響をあたえました。

2. 仏教が伝わる

百済の王から、仏像と経典が百済の聖明王から、ヤマト政権に仏像や経典が贈られたと伝えられています。国どうしの正式なやりとりとして伝わったことから、「仏教公伝」ともよばれます。
538年説と552年説『日本書紀』は552年のこととして記しています。一方で、『上宮聖徳法王帝説』などの記録から538年とする説があり、こちらを採る説明も多く見られます。どちらかひとつに決まっているわけではありません。
それより前から、仏教を知る人はいた朝鮮半島から渡ってきた人びとの中には、正式に伝わる前から、仏教を信仰していた人もいたと考えられています。1分でわかる渡来人と大陸文化古墳時代の、人と技術の行き来

3. 蘇我氏と物部氏:受け入れをめぐる対立

『日本書紀』によると、仏教を受け入れるかどうかで、豪族の意見は分かれました。

豪族立場と、その後
蘇我氏受け入れに前向き。渡来人とのつながりが深く、財政や外交にかかわっていたとされる
物部氏受け入れに反対したとされる。軍事などを担当した豪族
587年蘇我馬子らが物部守屋を倒す。このあと、仏教は朝廷の中で広まっていく

この対立は、信仰の問題だけではなかったと考えられています。朝廷の中でだれが主導権を握るか、天皇の位をだれが継ぐかといった争いも、深くかかわっていました。また、『日本書紀』の書き方には、のちの時代の見方も入っているといわれます。

4. 寺が建つ

古墳時代には大きな古墳が力の象徴でしたが、この時代には、豪族や天皇がきそって寺を建てるようになります。

寺ひとこと
飛鳥寺蘇我馬子が建てた、日本で最初の本格的な寺院とされる(588年に建て始めたと伝わる)。百済から寺をつくる技術者が招かれ、瓦も、このとき日本で初めてつくられたとされる。本尊の飛鳥大仏は、日本に残る最も古い仏像のひとつ
四天王寺大阪にある寺。厩戸王が建てたと伝えられる
法隆寺奈良県斑鳩町にある寺。厩戸王が607年ごろに建てたと伝えられる
へえ法隆寺は、一度焼けている?『日本書紀』は、670年に法隆寺が焼けたと記しています。発掘調査では焼けたあとの跡も見つかっており、現在の金堂や五重塔などは、そのあとに建て直されたものとする考えが有力です。それでも、現存する世界最古の木造建築群とされ、1993年に世界遺産に登録されました。

5. なぜ、仏教は受け入れられたのか

理由はひとつではなく、いくつもの面が重なっていたと考えられています。

信仰として病気の回復や、亡くなった人の供養を願う教えとして、受け入れられていきました。
新しい技術と知識として寺づくりには、建築、瓦、金属、仏像、文字などの技術が必要でした。仏教は、進んだ文化をまとめて取り入れる入口でもありました。
国づくりと外交のために朝鮮半島や中国の国々では、仏教が広く信仰されていました。仏教を取り入れることは、そうした国々と同じ文化を共有することでもありました。推古天皇の時代には、仏教を国づくりの柱のひとつにしようとします。1分でわかる聖徳太子と推古朝の国づくり十七条憲法にも、仏教をうやまう言葉がある
国を守る仏教へ7世紀後半になると、天皇が大きな寺を建てるようになります。天武天皇は、皇后(のちの持統天皇)の病気の回復を願って薬師寺を建て始めたと伝えられます。仏教の力で国を守ろうとする考えは、奈良時代の国分寺や大仏づくりへとつながっていきます。

6. 飛鳥文化と白鳳文化

文化ころ・特色代表的なもの
飛鳥文化7世紀前半、推古天皇のころが中心。朝鮮半島(百済・高句麗)や、中国の南北朝の影響を受けた仏教文化法隆寺、法隆寺の釈迦三尊像(止利仏師の作とされる)、玉虫厨子、飛鳥寺の飛鳥大仏
白鳳文化7世紀後半、天武天皇・持統天皇のころが中心。唐の影響が強まり、のびやかで明るい作風とされる薬師寺、法隆寺の金堂壁画、高松塚古墳の壁画、興福寺の仏頭(もとは山田寺の仏像)

「飛鳥文化」「白鳳文化」という名前は、のちの研究者が、作風の変化をとらえるためにつけた区分です。はっきりした境目の年があるわけではありません。

7. まちがえやすいところ

  • 仏教が伝わった年は、ひとつに決まっていない。538年説と552年説がある。
  • 仏教が伝わってすぐ、全国に広まったのではない。まず朝廷や豪族のあいだで受け入れられ、広まるには長い時間がかかった。
  • 蘇我氏と物部氏の争いは、仏教だけが原因ではない。朝廷の中での主導権争いも重なっていた。
  • 今の法隆寺の建物は、厩戸王が建てたそのままとは限らない。670年に焼けたあと、建て直されたとする考えが有力。
  • 飛鳥文化と白鳳文化を逆にしない。飛鳥文化が先(7世紀前半)、白鳳文化があと(7世紀後半)。

8. 1分で深掘り

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関連テーマ:飛鳥寺/法隆寺/薬師寺/高松塚古墳

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