1分でわかる
← 飛鳥時代にもどる
乙巳の変と大化の改新
645年〜7世紀後半
645年、蘇我入鹿が倒された事件と、そのあと長い時間をかけて進んだ改革。2つを分けて見ると、この時代がつかみやすくなります。
1分でわかる歴史飛鳥時代
乙巳の変と大化の改新 まとめ
1. ひとことで言うと
乙巳の変は、645年に蘇我氏の本家が倒された「事件」。
大化の改新は、そこから始まり、長く続いた「改革」
大化の改新は、そこから始まり、長く続いた「改革」
645年、中大兄皇子と中臣鎌足らが、朝廷で大きな力をもっていた蘇我入鹿を倒しました。これが乙巳の変です。そのあと、豪族が土地と人びとを支配するしくみを改め、天皇を中心とする国をめざす改革が始まりました。これを大化の改新とよびます。ただし、改革は645年に完成したのではなく、7世紀後半にかけて、少しずつ進んでいきました。
2. なぜ、事件が起きたのか
背景は、ひとつではないと考えられています。
蘇我氏の力の強まり推古天皇の時代のあと、蘇我蝦夷・入鹿の親子は、朝廷の中でさらに力を強めました。643年には、入鹿が厩戸王の子の山背大兄王の一族を滅ぼしたと『日本書紀』は記しています。1分でわかる聖徳太子と推古朝の国づくり推古天皇の時代に始まった国づくり
東アジアの緊張中国では唐が大きな力をもち、朝鮮半島の高句麗を攻めはじめていました。周りの国々では、権力を一か所に集めて危機に備える動きが起きていました。
唐から帰った人びとの知識遣隋使とともに中国へ渡った留学生や僧が帰国し、唐の進んだ制度を伝えていました。中大兄皇子や中臣鎌足は、南淵請安のもとで学んだとも伝えられます。
なお、『日本書紀』は蘇我入鹿を、天皇をしのぐほどの横暴な人物として描いています。ただ、この書き方には、入鹿を倒した側の見方が強く反映されているとも指摘されています。
3. 645年:乙巳の変
- 飛鳥板蓋宮で645年、朝鮮半島の使いを迎える儀式の場で、中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒す。
- 蘇我氏の本家が滅ぶ翌日、父の蘇我蝦夷も自害する。
- 新しい天皇へ皇極天皇が位をゆずり、孝徳天皇が即位する。中大兄皇子は皇太子となる。
- 「大化」このとき定められた「大化」は、日本で最初の元号とされる。
- 難波へ都を難波(いまの大阪)へ移し、新しい政治を始める。
「乙巳」は、645年の干支(えと)です。
4. 改新の詔:めざした国の姿
『日本書紀』によると、646年のはじめに「改新の詔」が出され、次のような方針が示されました。
| 方針 | 内容 |
|---|---|
| 公地公民 | 豪族が持っていた土地と人びとを、国のものとする |
| 地方のしくみ | 都や地方の区分を定め、国の役人が治めるようにする |
| 戸籍と田 | 戸籍をつくり、人びとに田をあたえる |
| 新しい税 | 全国に共通する税のしくみをつくる |
へえ木簡が明かした「書き直し」改新の詔では、地方の区分に「郡」という字が使われています。ところが、藤原京の跡から出た7世紀末の木簡には「評」と書かれていました。このことなどから、今伝わる詔の文章には、のちの大宝律令の言葉で書き直された部分があると考えられています。
5. 改革は、すぐには完成しなかった
改新の詔に示された方針が、全国で実際に形になるまでには、長い時間がかかりました。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 645年 | 乙巳の変。改革が始まる |
| 663年 | 白村江の戦いで大敗し、国づくりが急がれる |
| 670年 | 全国的な戸籍(庚午年籍)がつくられる |
| 689年 | 飛鳥浄御原令が施行される |
| 701年 | 大宝律令ができる |
そのあいだには、朝鮮半島での戦争や、天皇の位をめぐる争いもありました。改革は一本道ではなく、さまざまなできごとの中で進んでいきました。
1分でわかる白村江の戦いと東アジア敗戦のあと、倭はどう守りを固めたのか6. かかわった人たち
| 人物 | ひとこと |
|---|---|
| 中大兄皇子 | 乙巳の変の中心人物。のちの天智天皇 |
| 中臣鎌足 | 中大兄皇子を支えた人物。亡くなる直前に「藤原」の姓を授けられ、藤原氏の祖となった |
| 孝徳天皇 | 乙巳の変のあとに即位し、難波で改革を進めた天皇 |
| 皇極天皇 | 乙巳の変のときの天皇。のちにもう一度即位して、斉明天皇となる |
| 蘇我入鹿 | 蝦夷の子。乙巳の変で倒された |
7. まちがえやすいところ
- 乙巳の変と大化の改新は、同じではない。乙巳の変は事件、大化の改新はそのあとの改革。
- 大化の改新は、645年に完成したのではない。方針が形になるまでには、半世紀ほどかかった。
- 公地公民は、すぐに全国で実現したわけではない。豪族の力は、そのあともしばらく残った。
- 改新の詔の文章は、そのまま646年のものとは限らない。のちに書き直された部分があると考えられている。
8. 1分で深掘り
次に読む
1分でわかる天武・持統と律令国家改革の行き着いた先、大宝律令まで ← 飛鳥時代にもどる関連テーマ:蘇我入鹿/中臣鎌足/難波宮/改新の詔
コメント