荘園と武士の成長
荘園と武士の成長 まとめ
1. ひとことで言うと
武芸を身につけ、武装した人びとの結びつきが広がっていった
平安時代の中ごろ、国は地方の政治を国司に大きく任せるようになり、貴族や寺社がもつ土地である荘園も増えていきました。同じころ、地方の有力者や、都から下ってきた武芸の家がらの人びとが、武力をもって土地や一族を守り、治安を担うようになります。こうした人びとが、やがて武士とよばれる集団になっていきました。
2. 地方の政治が変わる:国司と受領
奈良時代には、戸籍をもとに人びとに田を貸し、税を取るしくみがありました。しかし、戸籍の偽りや田の不足などで、このしくみは続けにくくなっていきます。1分でわかる墾田永年私財法奈良時代に、土地のしくみはどう変わり始めたか
3. 荘園の広がり
| 土地 | ようす |
|---|---|
| 荘園 | 貴族や寺社などがもつ土地。税を納めなくてよい権利(不輸)や、国司の使いを立ち入らせない権利(不入)を認められたものもあった |
| 公領 | 国司が治める、国の土地。荘園が広がっても、公領もたくさん残った |
荘園は、奈良時代の開墾地から始まり、形を変えながら増えていきました。地方で土地を開いた有力者が、その土地を都の貴族や寺社に寄せ、守ってもらう形をとったこともあります。11世紀後半から12世紀にかけては、上皇や摂関家、大寺社のもとで、広い範囲をまとめた荘園が数多く立てられました。荘園がどうやってできたのかは研究が進んでおり、ひとつの形だけでは説明できないことが分かってきています。
4. 武士は、どこから出てきた?
武士の始まりには、いくつもの流れがあったと考えられています。
地方の社会から生まれた力と、都の武芸の家がらとが結びつくことで、武士の集団は大きくなっていきました。「荘園が増えたから武士が生まれた」というような、ひとつの原因だけで説明できるものではありません。
5. 武士団のしくみ
| 立場 | ようす |
|---|---|
| 棟梁 | 多くの武士をまとめるかしら。源氏や平氏の有力者がなることが多かった |
| 家子 | 棟梁の一族の者 |
| 郎党 | 棟梁に仕える家来 |
6. 地方の大きな争いと武士
| 争い | 年・場所 | ひとこと |
|---|---|---|
| 平将門の乱 | 939〜940年/関東 | 一族の争いから国府を攻め、みずから「新皇」と名のった。平貞盛・藤原秀郷らにより倒される |
| 藤原純友の乱 | 939〜941年/瀬戸内海 | もとは海賊を取りしまる側の役人だった純友が、海賊を率いて反乱を起こした |
| 前九年合戦 | 1051〜1062年/東北 | 源頼義・義家が、清原氏の助けを得て、安倍氏を倒した |
| 後三年合戦 | 1083〜1087年/東北 | 清原氏の争いに源義家が加わった。このあと、藤原清衡が平泉を中心に力を広げる(奥州藤原氏) |
反乱を起こしたのも、それをしずめたのも、武芸を身につけた人びとでした。朝廷は、武士の力にたよるようになっていきます。前九年・後三年は、「〜の役」とよばれることもあります。
7. 源氏と平氏
| 一族 | ひとこと |
|---|---|
| 源氏 | 清和天皇の子孫の源氏が武士として力をのばした。東北での戦いを通じて、東国の武士とのつながりを深めた |
| 平氏 | 桓武天皇の子孫。その中の伊勢平氏は、瀬戸内海など西国に基盤を広げ、都の上皇に仕えて力をのばした |
8. まちがえやすいところ
- 「荘園が増えた → 武士が生まれた」ではない。地方の社会の変化、都の武芸の家がら、治安への必要など、いくつもの流れが重なった。
- 荘園が広がっても、国の土地(公領)はなくならなかった。荘園と公領が並んで存在した。
- 平将門と藤原純友は、同じころの別の反乱。将門は関東、純友は瀬戸内海。
- 源氏も平氏も、もとは天皇の子孫。源氏=清和天皇などの子孫、平氏=桓武天皇などの子孫。
9. 1分で深掘り
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