鎌倉の新しい仏教と文化

1分でわかる

鎌倉の新しい仏教と文化

12世紀末〜14世紀はじめ
争乱や災害が続く中で、だれにでも実践しやすい教えが生まれました。東大寺の再建や、力強い仏像、軍記物語など、武士の時代らしい文化も育ちました。
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1分でわかる歴史鎌倉時代

鎌倉の新しい仏教と文化 まとめ

1. ひとことで言うと

平安時代から続く仏教の流れの中から、
ひとつの行いに打ちこめば救われるという、わかりやすい教えが生まれた

平安時代の終わりから鎌倉時代にかけては、源平の争乱、飢饉、地震などが続き、人びとは不安の中にいました。こうした中で、念仏をとなえる、題目をとなえる、座禅をするといった、ひとつの行いを選んで打ちこむ教えが生まれ、貴族だけでなく、武士や庶民にも少しずつ広がっていきました。

2. 突然生まれたのではない

新しい教えを開いた僧の多くは、若いころに比叡山延暦寺で学んでいます。また、阿弥陀仏を信じて極楽浄土を願う浄土の教えは、平安時代の中ごろから広がっていました。鎌倉時代の新しい仏教は、こうした平安時代からの流れを受けつぎ、それを深めたり、組み立て直したりしたものでした。1分でわかる最澄と空海・平安の仏教多くの僧が学んだ、比叡山の始まり

3. 6人の僧と、その教え

僧宗派教えのかなめ
法然浄土宗「南無阿弥陀仏」と念仏をとなえれば、だれでも極楽浄土に往生できる
親鸞浄土真宗法然の弟子。阿弥陀仏を信じる心そのものを大切にし、自分の罪深さを自覚した人こそ救われると説いた
一遍時宗各地を歩き、踊りながら念仏をとなえる「踊念仏」で、多くの人びとに教えを広めた
日蓮日蓮宗法華経を重んじ、「南無妙法蓮華経」と題目をとなえることを説いた。『立正安国論』で幕府に意見した
栄西臨済宗宋で禅を学んで伝えた。座禅と、師が与える問いを通してさとりを目指す。茶を飲む習慣も広めた
道元曹洞宗宋で禅を学び、ただひたすら座禅に打ちこむことを説いた。越前(いまの福井県)に永平寺を開いた
禅と武士禅の教えは、自分をきびしく律する生き方として、武士、とくに幕府の有力者たちに受け入れられました。鎌倉には、宋から来た僧を招いて建長寺や円覚寺が建てられています。

4. 古くからの仏教も、力をもち続けた

新しい教えは、当時はまだ少数派で、延暦寺などから厳しく批判されたり、朝廷や幕府から弾圧されたりすることもありました。教団として大きく広がっていくのは、多くが室町時代以降のことです。この時代の仏教の中心には、延暦寺や興福寺などの大寺院があり、その中からも、戒律を重んじ、貧しい人や病人を救う活動に取り組む僧が現れました。

5. 武士の時代の文化

分野ようす
東大寺の再建源平の争乱で焼けた東大寺を、僧の重源が中心となって再建した。宋の建築技術も取り入れ、南大門が建てられた
仏像運慶・快慶らが、東大寺南大門の金剛力士像など、写実的で力強い仏像をつくった
文学平氏の栄えと滅びを語る『平家物語』が、琵琶法師によって語り広められた。鴨長明の『方丈記』、兼好法師の『徒然草』などの随筆も生まれた
和歌後鳥羽上皇の命令で『新古今和歌集』がまとめられた。朝廷の文化も続いていた

東大寺は、奈良時代に聖武天皇が大仏をつくった寺です。1分でわかる奈良の大仏焼けて、つくり直された大仏の歴史

6. まちがえやすいところ

  • 鎌倉時代になって、急に新しい仏教が生まれたのではない。比叡山での学びや、平安時代からの浄土の教えを受けついでいる。
  • 新しい宗派が、すぐに日本中に広まったのではない。大きく広がるのは、多くが室町時代以降。
  • 念仏と題目を混同しない。念仏は「南無阿弥陀仏」(法然・親鸞・一遍)。題目は「南無妙法蓮華経」(日蓮)。
  • 禅宗は二つ。栄西=臨済宗、道元=曹洞宗。

7. 1分で深掘り

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