江戸社会の変化|飢饉・一揆・打ちこわしから幕末へ
江戸社会の変化 まとめ
1. ひとことで言うと
そこに外国船の接近が重なり、幕府は国の内と外の両方で難しい問題をかかえた
18世紀から19世紀前半にかけて、大きな飢饉がくり返し起こり、多くの人が亡くなりました。村の中では豊かな百姓と貧しい百姓の差が広がり、百姓一揆や、都市の打ちこわしが増えていきます。さらに19世紀になると、ロシアやイギリス、アメリカなどの船が日本の近くに現れ、幕府の対外政策もゆれ動きました。こうした国内と国外の変化が重なって、時代は幕末へ向かっていきます。
2. くり返した飢饉
| 飢饉 | ころ | ようす |
|---|---|---|
| 寛永の飢饉 | 1640年代 | 全国的な凶作。幕府が農村の政策を見直すきっかけになった |
| 享保の飢饉 | 1730年代 | 西日本でウンカなどの害虫が大発生した。翌年、江戸では、米を買い占めているとうわさされた米問屋が打ちこわされた |
| 天明の飢饉 | 1780年代 | 冷害に、1783年の浅間山の噴火などが重なった。東北地方を中心に、多くの人が亡くなった |
| 天保の飢饉 | 1830年代 | 凶作が数年続き、全国で一揆や打ちこわしが起こった |
飢饉は天候だけで起こったのではありません。売るための作物をつくる地域が増えたことや、藩が米を他の地域に売って備えが足りなくなったことなども、被害を大きくしたと考えられています。
3. 百姓一揆と打ちこわし
4. 村の中の変化
商品作物がつくられ、お金の経済が村にも広がると、土地を集めて豊かになる百姓がいる一方で、土地を手放して小作人になる百姓も増えていきました。村の中で、村役人のやり方に不満をもつ百姓たちが声を上げる争い(村方騒動)も起こります。村の外へ働きに出る人も増え、村の姿は少しずつ変わっていきました。1分でわかる江戸の身分・村・町の暮らし本百姓と水呑百姓
5. 大塩平八郎の乱
1837年、天保の飢饉で大坂の人びとが苦しむ中、大坂町奉行所の元役人で陽明学者の大塩平八郎が、人びとを救うことを訴えて兵をあげました。乱は1日でしずめられましたが、幕府の役人だった人物が、幕府の直轄する大都市で反乱を起こしたことは、幕府に大きな衝撃を与えました。
6. 外国船が近づく
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1792年 | ロシアのラクスマンが根室に来航し、通商を求める |
| 1804年 | ロシアのレザノフが長崎に来航し、通商を求める |
| 1808年 | イギリスの軍艦フェートン号が長崎に入りこむ |
| 1825年 | 幕府が、日本に近づく外国船を打ち払うよう命じる(異国船打払令) |
| 1837年 | アメリカの商船モリソン号が、打ち払われる |
| 1839年 | 幕府の対外政策を批判した渡辺崋山や高野長英が処罰される(蛮社の獄) |
| 1842年 | 清がアヘン戦争でイギリスに敗れたことを知った幕府が、外国船に燃料や水を与えて帰らせる方針に改める |
幕府は、外国船への対応を何度も変えながら、外国との関係をこれまでどおり管理しようとしていました。1分でわかる江戸時代の外交と「鎖国」幕府が管理した外国との関係
7. 幕末への入口
19世紀前半の日本は、国内では飢饉や一揆、財政の苦しさをかかえ、国外では外国船の接近という新しい問題に向き合っていました。そうした中、1853年にアメリカのペリーが艦隊を率いて浦賀に来航し、開国を求めます。
ペリー来航は大きな転機となりましたが、それまでの社会が突然すべて変わったわけではありません。ここで見てきた変化の積み重ねの上に、次の時代が始まります。ここから明治へ向かう時代は、幕末のページで整理します。
8. まちがえやすいところ
- 百姓一揆は、ただの暴動ではない。多くは、要求を伝える交渉やうったえの形をとった。
- 飢饉は、天候だけで起こったのではない。社会や経済のしくみも、被害を大きくした。
- 外国船が来たのは、ペリーが最初ではない。18世紀末から、ロシアやイギリスなどの船が来航していた。
- 1853年に、すべてが突然変わったのではない。それ以前から、国内外の変化が積み重なっていた。
9. 1分で深掘り
← 江戸時代にもどる関連テーマ:天明の飢饉/百姓一揆/打ちこわし/大塩平八郎の乱/異国船打払令/蛮社の獄
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