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江戸の学問|儒学・国学・蘭学
17世紀〜19世紀前半
江戸時代の人びとは、何を、何のために学んだのか。儒学・国学・蘭学と、学びの場の広がりを見ていきます。
1分でわかる歴史江戸時代
江戸の学問 まとめ
1. ひとことで言うと
社会の秩序を重んじる儒学、日本の古典を学ぶ国学、西洋の知識を学ぶ蘭学が発達した。
寺子屋などで、読み書きを学ぶ人も大きく増えた
寺子屋などで、読み書きを学ぶ人も大きく増えた
戦のない時代が続く中で、武士には、戦う力よりも、政治を行うための学問や教養が求められるようになりました。幕府や藩が重んじた儒学に加えて、日本の古い書物を研究する国学、オランダ語の書物を通じて西洋の知識を学ぶ蘭学が生まれます。学問は武士だけのものではなく、町人や百姓にも広がっていきました。
2. 3つの学問
| 学問 | 何を学んだ? | 主な人物 |
|---|---|---|
| 儒学 | 中国の孔子の教えをもとに、主君と家臣、親と子などの上下の関係や、人としての正しい生き方を学んだ | 林羅山、中江藤樹、荻生徂徠 |
| 国学 | 『古事記』や『万葉集』などの日本の古典を研究し、仏教や儒学が伝わる前の日本人の考え方を明らかにしようとした | 賀茂真淵、本居宣長 |
| 蘭学 | オランダ語の書物を通じて、医学や天文学、地理学などの西洋の学問を学んだ | 杉田玄白、前野良沢、伊能忠敬 |
3. 儒学:幕府や藩が重んじた学問
儒学の中でも、朱子学は身分の上下や秩序を重んじたため、幕府や藩に大切にされました。家康に仕えた林羅山の一族は、代々幕府の学問を担いました。儒学の中にも、行動を重んじる陽明学や、孔子や孟子の元の教えに立ち返ろうとする古学など、さまざまな考え方がありました。
寛政異学の禁1790年、松平定信は、幕府の学問所で朱子学以外の儒学を教えることを禁じました。のちに学問所は、幕府の昌平坂学問所として整えられます。1分でわかる幕府の改革寛政の改革
4. 国学:日本の古典を読む
国学は、万葉集などの古い和歌や書物をくわしく研究する中から生まれました。本居宣長は、30年以上をかけて『古事記』を研究し、『古事記伝』を著しました。国学は、のちの時代の思想にも影響を与えていきます。
5. 蘭学:オランダ語で西洋を学ぶ
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1720年 | 徳川吉宗が、キリスト教に関係しない洋書(中国語に訳されたもの)の輸入をゆるめる |
| 1774年 | 杉田玄白や前野良沢らが、オランダ語の解剖書を翻訳した『解体新書』を出す |
| 1800年 | 伊能忠敬が、蝦夷地の測量を始める。その後、全国を測量して正確な日本地図をつくった |
| 1824年 | オランダ商館の医師シーボルトが、長崎の郊外で医学を教える塾を開く |
長崎を通じて、海外の書物や知識が入り続けていたことが、蘭学の発達を支えました。1分でわかる江戸時代の外交と「鎖国」長崎とオランダ
6. 学びの場が広がった
| 学びの場 | ようす |
|---|---|
| 寺子屋 | 町や村の子どもたちが、読み書きやそろばんを学んだ。僧侶や武士、町人などが先生になった |
| 藩校 | 藩が、家臣の子どもたちに儒学や武術などを教えるためにつくった学校 |
| 私塾 | 学者が自分で開いた塾。身分にかかわらず学べるところもあり、各地から人が集まった |
読み書きができる人が増えたことは、本を楽しむ文化が広がる土台にもなりました。1分でわかる化政文化本と浮世絵の文化
7. まちがえやすいところ
- 江戸時代に、西洋の学問が入ってこなかったのではない。オランダ語の書物を通じて、蘭学が発達した。
- 学問は、武士だけのものではない。町人や百姓の中にも、学者や学ぶ人が多くいた。
- 儒学は、ひとつの考え方だけではない。朱子学のほかにも、さまざまな学派があった。
- 『解体新書』は、日本人が一から書いた医学書ではない。オランダ語の本を翻訳したもの。
8. 1分で深掘り
← 江戸時代にもどる関連テーマ:朱子学/昌平坂学問所/本居宣長/解体新書/伊能忠敬/寺子屋
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