江戸の身分・村・町の暮らし
江戸の身分・村・町の暮らし まとめ
1. ひとことで言うと
共同体は、年貢や決まりを守る単位であり、助け合いの単位でもあった
江戸時代の社会では、武士、百姓、町人などの身分があり、身分によって住む場所や仕事、負担が決まっていました。多くの人びとは、村や町という共同体に属し、その中で年貢を納め、決まりを守り、たがいに助け合って暮らしていました。身分は、個人ひとりひとりよりも、家や共同体を単位として決められていたのです。
2. 主な身分
| 身分 | 主に住んだ場所 | ようす |
|---|---|---|
| 武士 | 城下町 | 将軍や大名に仕え、政治や軍事を担った。名字を名のり、刀を差すことが認められた。人口の1割に満たなかったとされる |
| 百姓 | 村 | 村に住む人びと。人口の大部分をしめ、年貢を納めた |
| 町人 | 町 | 町に住む商人や職人など |
このほかにも、朝廷に仕える公家、寺の僧侶や神社の神職など、さまざまな身分の人びとがいました。
3. 「士農工商」は、身分の順番?
江戸時代の身分は、かつて「士農工商」の順に上から並んでいたと説明されることがありました。しかし、現在の教科書では、このことばで身分制度を説明することは少なくなっています。
4. 差別された人びと
江戸時代には、「えた」「ひにん」などとよばれ、きびしい差別を受けた人びともいました。住む場所や服装、結婚などを制限され、ほかの身分の人びととの付き合いにも差別がありました。一方で、皮革の加工や、治安・警備にかかわる仕事、芸能など、社会に欠かせない役割を担っていました。
こうした差別は、江戸時代が終わったあとも長く残り、今も解決すべき問題として続いています。
5. 村の暮らし
村は、百姓たちが自分たちで運営する共同体でした。
| しくみ | 中身 |
|---|---|
| 村役人 | 名主(庄屋)・組頭・百姓代などが、村の運営を担った |
| 村請制 | 年貢は、村全体でまとめて納める責任を負った |
| 五人組 | 近所の家を組にして、年貢や犯罪に連帯して責任を負わせた |
| 共同の作業 | 田植えや用水の管理、山や野原(入会地)の利用などを、村で決まりをつくって行った |
村の中にも差がありました。田畑をもち年貢を納める本百姓と、田畑をもたない水呑百姓などがいて、時代が進むとその差は広がっていきました。
6. 町の暮らし
城下町などの町では、土地や家をもつ町人(家持など)が町の運営に加わり、町役人を中心に自分たちで決まりを守りました。一方で、町に住む人の多くは、土地や家を借りて暮らす人びと(店借など)で、長屋に住む職人や、日雇いで働く人も大勢いました。1分でわかる江戸の農業・商業・三都大都市になった江戸・大坂・京都
7. 寺と家
8. 身分は、まったく動かなかった?
身分は家ごとに受けつがれるのが原則でしたが、まったく変えられなかったわけではありません。養子になったり、お金を出して武士の身分を得たりする例もありました。また、村から町へ奉公や出稼ぎに出る人も多く、人の移動は時代とともに増えていきました。
9. まちがえやすいところ
- 「士農工商」の4段のピラミッドで、身分が決められていたのではない。百姓と町人のあいだに、はっきりした上下はなかった。
- 百姓は、農民だけではない。漁業や商売などで暮らす村の人びとも、百姓だった。
- 村や町は、上から治められるだけの場所ではない。人びとが自分たちで運営する共同体だった。
- 身分が、一生まったく変わらなかったのではない。養子などで身分が変わることもあった。
10. 1分で深掘り
時代が進むと、村の中の貧富の差が広がり、一揆や打ちこわしも起こるようになります。1分でわかる江戸社会の変化飢饉・一揆・打ちこわしから幕末へ
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