戦後改革と日本国憲法

1分でわかる

戦後改革と日本国憲法

1945年〜1947年
敗戦から2年ほどの間に、選挙、憲法、土地、会社、働き方、学校の仕組みが次々と変わりました。何が、どう変わったのかを見ていきます。
A4で印刷できます。
← 昭和・戦後にもどる
1分でわかる歴史昭和・戦後

戦後改革と日本国憲法 まとめ

1. ひとことで言うと

選挙、土地、会社、働き方、学校、そして憲法。暮らしの土台が同時に作りかえられた。
GHQの指令が出発点だが、実際の法律をつくり動かしたのは日本の政府と議会だった

1945年10月の五大改革指令を受けて、改革が次々と進みました。同年12月には女性に参政権を認める選挙法改正と労働組合法が成立します。1946年には農地改革の法律、11月3日に日本国憲法の公布。1947年には教育基本法・学校教育法、労働基準法、独占禁止法、そして家制度を廃止する民法改正が続きました。これらは占領下で行われましたが、法律として決めたのは日本の議会です。

2. 女性参政権(1945年)

幣原喜重郎内閣の堀切善次郎内務大臣は、女性に初めて選挙権と被選挙権を認める改正の要綱を1945年10月23日の閣議に提出し、衆議院議員選挙法改正案として帝国議会に提出、12月15日に可決・成立しました。選挙権は20歳以上、被選挙権は25歳以上へと年齢も引き下げられています。

憲法より先だった男女同権を定める日本国憲法より先に、女性参政権は実現しました。最初の実施は1946年4月の総選挙で、このとき女性が初めて投票し、女性の議員も誕生しています。つまり、新しい憲法を審議した議会は、女性が参加した選挙で選ばれた議会でした。

3. 日本国憲法は、どのようにできたのか

  1. 1945年10月〜 日本側の調査最高司令官から憲法の自由主義化が示唆され、日本政府は大日本帝国憲法の調査・研究を始めた。
  2. 1946年2月 日本政府案の提出と拒否日本側の改正案(憲法改正要綱)が総司令部に提出されたが、2月13日、これを拒否することが伝えられ、その場でGHQ草案が手渡された。
  3. 1946年2月22日 方針の決定日本政府は閣議で、GHQ草案に沿って憲法を改正する方針を決めた。
  4. 1946年3月6日 草案要綱の発表日本側が法制局を中心に条文化し、「憲法改正草案要綱」として発表した。
  5. 1946年6月〜10月 帝国議会の審議大日本帝国憲法の改正手続にしたがい、衆議院と貴族院で審議。第9条第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」を加える、いわゆる芦田修正などが行われ、衆議院は8月24日に賛成421票・反対8票で可決。貴族院は文民条項の挿入など4項目を修正して10月6日に可決した。
  6. 1946年11月3日 公布/1947年5月3日 施行枢密院の可決を経て公布され、半年後に施行された。
「押しつけ」かどうかを一言で決めないGHQ草案が出発点になったことも、日本側が条文をつくり議会で修正したことも、どちらも事実です。1MINでは「押しつけられた憲法」とも「日本だけで作った憲法」とも書きません。上の6つの段階を順に見れば、だれが何をしたのかが分かります。

4. 日本国憲法は何を変えたのか

くらべる点大日本帝国憲法日本国憲法
主権天皇が統治権をもつ主権は国民にある(国民主権)
天皇国の元首として統治する日本国と国民統合の象徴(象徴天皇制)
権利臣民の権利。法律の範囲内で認められた侵すことのできない基本的人権として保障される
戦争と軍隊天皇が陸海軍を統帥する戦争を放棄し、戦力を持たないと定める(平和主義)
国会天皇の立法に協賛する機関国権の最高機関で、唯一の立法機関

この三つ、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義が、日本国憲法の基本原則とされます。

5. 農地改革

戦前の農村では、地主が土地をもち、小作人が小作料を納めて耕す形が広がっていました。1946年10月21日に自作農創設特別措置法が公布され、農地調整法の改正とあわせて改革が行われます。

仕組みは、不在地主の小作地のすべてと、村に住む地主の小作地のうち一定の限度を超える分を国が強制的に買い上げ、実際に耕している小作人へ優先的に低い価格で売り渡すというものでした。この結果、多くの小作人が自分の土地をもつ農家になります。

だれが進めたのか農地改革はGHQの指示で始まりましたが、最初の案(第1次農地改革)は日本政府が作ったもので、GHQはこれを不十分として作り直させました。実際の買収と売渡しは、各地の農地委員会が担い、そこには地主・自作農・小作農の代表が加わっています。地域ごとに交渉や対立もありました。

6. 財閥解体・労働改革・教育改革

分野何が行われたか
財閥解体持株会社が整理され、1947年4月に独占禁止法が公布。同年12月の過度経済力集中排除法では、325社が指定され、最終的に18社に分割再編成が指令された(実際に分割されたのは11社)
労働改革1945年12月の労働組合法で団結権・団体交渉権・争議権が保障された。1946年に労働関係調整法、1947年に労働基準法が制定され、労働省も設置された
教育改革1947年3月31日、教育基本法と学校教育法が公布され、六・三・三・四制と男女共学が定められた。義務教育は9年になった
家族の制度1947年12月の民法改正で、家と戸主の制度、家督相続が廃止され、均分相続と、婚姻・親族・相続における女性の地位の向上が定められた

財閥解体は途中で方針がゆるみ、分割された会社は当初の予定より少なくなりました。冷戦が深まる中で、占領政策の重点が変わっていったためです。1分でわかる冷戦と朝鮮戦争なぜ方針が変わったのか

7. まちがえやすいところ

  • 女性参政権は、日本国憲法で初めて認められたのではない。1945年12月の選挙法改正が先。
  • 憲法は、どちらか一方だけが作ったのではない。GHQ草案、日本側の条文化、議会での修正という段階がある。
  • 農地改革は、GHQが一方的に実施したのではない。日本政府の案があり、各地の農地委員会が実務を担った。
  • 財閥解体は、計画どおり最後まで進んだのではない。途中で方針がゆるみ、分割は一部にとどまった。

8. 1分で深掘り

次に読む

1分でわかる東京裁判と戦後処理戦争責任はどう扱われたのか 1分でわかる敗戦直後とGHQ占領改革の前提になった占領の仕組み ← 昭和・戦後にもどる

関連テーマ:五大改革指令/女性参政権/GHQ草案/芦田修正/文民条項/国民主権/象徴天皇制/自作農創設特別措置法/独占禁止法/労働基準法/教育基本法/民法改正

関連記事

特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP
CLOSE