冷戦と朝鮮戦争
冷戦と朝鮮戦争 まとめ
1. ひとことで言うと
朝鮮戦争は、その変化を決定的にした
第二次世界大戦のあと、アメリカを中心とする陣営とソ連を中心とする陣営が対立しました。直接の戦争はしないまま続いた対立なので、冷戦とよばれます。1949年に中華人民共和国が成立し、1950年に朝鮮戦争が始まると、日本を早く経済的に自立させ、アジアでの拠点にするという考えが強まりました。経済の引きしめ、労働運動への対応、そして再軍備につながる動きが進みます。
2. 冷戦とは何か
アメリカとソ連は、第二次世界大戦では同じ側で戦いましたが、戦後は政治と経済の仕組みをめぐって対立します。ヨーロッパは東西に分かれ、ドイツも分断されました。アジアでは、1949年に中国で中華人民共和国が成立し、前の政府は台湾へ移ります。朝鮮半島は北と南に分かれた政府ができました。
この対立の中で、アメリカにとって日本は、東アジアで経済的にも軍事的にも重要な位置を占めるようになります。
3. 「逆コース」と呼ばれる変化
| 時期 | 重点 |
|---|---|
| 1945〜47年 | 非軍事化と民主化。財閥解体、農地改革、労働組合の育成、憲法の制定 |
| 1948年ごろ〜 | 経済の自立と安定。財閥解体の緩和、公職追放の解除、労働運動への規制、再軍備につながる動き |
4. 経済安定九原則とドッジ・ライン
1948年12月19日、日本経済を早く安定させ自立させるための施策として、経済安定九原則が、連合国最高司令官から吉田茂首相あての書簡の形で指令されました。内容は、予算の均衡、徴税の強化、資金の貸出制限、賃金の安定、物価統制、貿易の改善、物資割当の改善、増産、食糧集荷の改善の9つです。
この方針を実行するため、1949年にアメリカから派遣されたドッジによる一連の政策(ドッジ・ライン)が行われます。赤字を出さない予算、補助金の削減、そして1ドル=360円という単一の為替レートの設定です。インフレは収まりましたが、需要が落ちこみ、企業の倒産や人員整理が相次ぎました(安定恐慌)。同じころ、シャウプ勧告にもとづく税制の改革も行われています。
5. 朝鮮戦争(1950年〜1953年)
1950年6月25日、朝鮮半島で戦争が始まりました。国際連合の決議にもとづいてアメリカを中心とする軍が韓国側で参戦し、のちに中国の義勇軍が北側で加わります。半島では都市が破壊され、多くの人が犠牲になり、離散した家族も生まれました。1953年に休戦協定が結ばれますが、戦争そのものが終わったわけではありません。
6. 警察予備隊から自衛隊へ
- 1950年8月10日 警察予備隊朝鮮戦争の開始後、警察予備隊令が公布・施行される。平和と秩序を維持し公共の福祉を保障するのに必要な限度で、警察の力を補うことを目的とした。在日米軍が朝鮮半島へ動いた後の国内を担う意味もあった。
- 1952年8月 保安庁/10月 保安隊保安庁法により保安庁が設置され、警察予備隊は保安隊と改称された。
- 1954年6月 防衛二法自衛隊法と防衛庁設置法が公布され、7月に防衛庁と自衛隊が発足。自衛隊の主な任務は、直接侵略および間接侵略に対し日本を防衛することと定められた。
つまり、ある日突然に軍隊ができたのではなく、警察の補完という形から始まり、段階を追って組織と任務が変わっていきました。憲法第9条との関係については、当時から現在まで議論が続いています。1MINでは、その評価には踏みこまず、制度がどう変わったかを示すにとどめます。
7. まちがえやすいところ
- 「逆コース」は民主化の取り消しではない。占領政策の重点が移動したことを指す。
- ドッジ・ラインは良いことずくめではない。インフレは収まったが、不況と失業が広がった。
- 朝鮮戦争は日本の景気の話だけではない。隣国で大きな戦争が起き、日本は基地と補給で関わった。
- 自衛隊は突然できたのではない。警察予備隊、保安隊を経て1954年に発足した。
8. 1分で深掘り
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