高度経済成長
高度経済成長 まとめ
1. ひとことで言うと
その結果、働く場所も、住む場所も、家の中の道具も、20年ほどで大きく変わった
朝鮮戦争の特需で立ち直った日本経済は、1950年代の後半から長い成長期に入りました。1960年には国民所得倍増計画が閣議決定され、10年以内に実質国民総生産を2倍にする目標が掲げられます。1964年には東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開かれました。家庭には家電が入り、都市には人が集まります。この成長は1973年の石油危機まで続きました。
2. なぜ成長できたのか
「日本人が勤勉だったから」という説明だけでは足りません。複数の条件が重なっています。
- 国際環境世界経済が拡大し、原油などの資源を安く輸入できた。固定相場(1ドル=360円)も輸出に有利に働いた。
- 設備投資企業が競って工場や機械に投資し、それがさらに需要を生んだ。
- 技術の導入海外から技術を取り入れ、改良して生産性を高めた。
- 人戦後に生まれた世代が働き手になり、農村から都市へ人が移った。
- 教育高校や大学への進学率が上がり、技能をもつ働き手が増えた。
- 国内市場賃金が上がり、家電や自動車を買う人が増えて、国内の需要が伸びた。
- 政府の政策所得倍増計画、道路・港湾・鉄道などの整備、産業を支える金融の仕組み。
- 軍事費の割合防衛にかける支出の割合が抑えられ、資金を産業や社会資本に回しやすかった。
3. 暮らしはどう変わったか
| 分野 | 変化 |
|---|---|
| 家の中 | 白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫が「三種の神器」とよばれて広まり、のちにカラーテレビ・クーラー・自動車(3C)が続いた |
| 住まい | 都市の周辺に団地やニュータウンがつくられ、郊外から通勤する暮らしが一般的になった |
| 食べる | パンや肉、乳製品が増え、インスタント食品やスーパーマーケットが広がった |
| 働く | 会社に勤める人(サラリーマン)が増え、中学や高校を出て地方から都市の職場へ就職する集団就職も行われた |
| 移動 | 自家用車が普及し、高速道路が整備された。1964年に東海道新幹線が開通 |
| 楽しむ | テレビが家族の中心になり、旅行やレジャーが広がった |
4. 1964年の東京オリンピックと新幹線
1959年のIOC総会で東京での開催が決まり、日本は国を挙げて準備に取り組みました。1961年には準備のための特別措置法が公布され、経費の一部国庫補助や国有財産の無償使用などが定められています。
大会に合わせて、東海道新幹線、高速道路、地下鉄、上下水道、競技施設などの整備が進みました。テレビの普及も一気に進み、衛星を使った中継も行われます。
5. 全員が同じように豊かになったのではない
- 地域の差太平洋側の工業地帯に人と産業が集まり、農村や山間部では人口が減った(過疎)。
- 都市の問題住宅の不足、通勤の混雑、ごみ、交通事故、大気の汚れなどが深刻になった。
- 働き方の差大企業と中小企業、正社員とそれ以外で、賃金や待遇の差があった。
- 家庭の中共働きが増える一方、家事や育児の負担は女性に偏ったままのことが多かった。
- 健康と環境工場の近くでは、成長の代償として健康被害が起きた。
成長の光と影は、同じ時期に同時に進んでいました。1分でわかる公害と環境問題成長の一方で何が起きたのか
6. 成長の終わり
1960年代の終わりには、日本の国民総生産は資本主義の国の中でアメリカに次ぐ規模になりました。1964年にはIMF8条国へ移行し、OECDにも加盟して、国際的にも先進国として扱われるようになります。
しかし1973年、第一次石油危機が起こると状況は一変しました。原油価格の高騰によって物価が急上昇し、1974年度の日本経済は戦後初のマイナス成長となります。高度経済成長は、ここで終わりました。1分でわかる石油危機と安定成長成長はなぜ止まったのか
7. まちがえやすいところ
- 勤勉さだけで説明できない。国際環境、投資、技術、人口、教育、政策などが重なった。
- 全員が一斉に豊かになったのではない。地域差、企業規模の差、都市と農村の差があった。
- オリンピックが成長を生んだのではない。成長の途中にあった出来事で、整備を加速させた。
- 成長は自然に終わったのではない。石油危機という外からの衝撃が転換点になった。
8. 1分で深掘り
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