石油危機と安定成長
石油危機と安定成長 まとめ
1. ひとことで言うと
物価は大きく上がり、1974年度は戦後初のマイナス成長になった
1973年10月、第四次中東戦争をきっかけに、産油国が供給の制限と大幅な値上げを行いました。国際原油価格は3か月で約4倍になります。エネルギーの多くを輸入の石油に頼っていた日本では、物価が急上昇し、生産が落ちこみました。高度経済成長はここで終わり、日本は省エネルギーとエネルギー源の多様化へ方針を変えていきます。
2. 第一次石油危機(1973年)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| きっかけ | 1973年10月の第四次中東戦争。産油国が供給の制限と値上げに踏み切った |
| 価格 | 国際原油価格は3か月で約4倍になった |
| 物価 | 一般消費者物価の上昇率は、それまでの5.7%から、1973年度は15.6%、1974年度は20.9%に達した |
| 生産 | 鉱工業生産指数の伸びは、1971〜1973年度の平均8.1%から、1974〜1975年度の平均はマイナス7.2%に転じた |
| 成長 | 1974年度は、戦後初めてのマイナス成長となった |
3. 暮らしに起きたこと
物価の上昇は「狂乱物価」とよばれました。トイレットペーパーや洗剤などの日用品では、買いだめや売り惜しみ、便乗値上げが起こります。
政府と企業は、ネオンの消灯、営業時間の短縮、テレビの深夜放送の休止など、石油の節約を呼びかける取り組みを行いました。
4. 日本が変えたこと
- 体制の整備1973年に資源エネルギー庁が設置された。
- 備蓄1975年に石油備蓄法が制定され、不足に備える仕組みが作られた。
- 省エネルギー1979年に省エネ法が制定され、工場・輸送・建物・機器のエネルギー使用の合理化が進められた。
- エネルギーの多様化1980年に代エネ法が制定され、石油以外のエネルギーの開発と導入が進められた。
- 産業の転換石油を多く使う重化学工業から、電気機械や自動車、精密機器など、エネルギーの消費が少なく付加価値の高い産業へ重心が移っていった。
5. 第二次石油危機(1978年〜)
1978年末からのイラン革命、続くイラン・イラク戦争によって、原油価格は約3年間で約2.7倍になりました。第一次のときと同じように大きな値上がりでしたが、日本社会の反応は違いました。
省エネルギーと備蓄の仕組みが整っていたこと、産業の構造が変わっていたこと、そして人びとが前回の経験から冷静に対応したことによって、社会的な混乱は生じなかったとされています。第一次と第二次を同じように語らないことが大切です。
6. 安定成長へ
石油危機のあと、日本経済の成長率は高度経済成長期より低い水準に落ち着きました。年に10%前後だった成長が、4〜5%程度で続く時期に入ります。これを安定成長とよびます。
低成長といっても止まったわけではなく、自動車や電気製品の輸出は伸び続けました。その結果、1980年代にはアメリカなどとの間で貿易摩擦が大きな問題になっていきます。
7. まちがえやすいところ
- 戦争そのものが日本を直撃したのではない。産油国の供給制限と値上げが、輸入に頼る日本に及んだ。
- 紙が日本中から消えたのではない。不安と買いだめによって店頭の在庫が偏った。
- 二度の石油危機は同じではない。第二次では大きな混乱は起きなかった。
- 低成長=衰退ではない。輸出は伸び、産業の中身が変わっていった。
8. 1分で深掘り
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1分でわかる円高とバブル1980年代の日本経済 1分でわかる高度経済成長何が終わったのか ← 昭和・戦後にもどる関連テーマ:第四次中東戦争/OPEC/狂乱物価/買いだめ/省エネルギー/資源エネルギー庁/石油備蓄法/省エネ法/イラン革命/安定成長/貿易摩擦
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