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公害と環境問題
1950年代〜1970年代
経済が伸びる一方で、なぜ深刻な健康被害が起きたのか。だれが、どのように責任を明らかにしていったのかを見ていきます。
1分でわかる歴史昭和・戦後
公害と環境問題 まとめ
1. ひとことで言うと
工場の排水や排煙が、そこで暮らす人びとの体をむしばんだ。
原因が分かってからも対策は遅れ、被害者が声を上げ続けたことで、ようやく制度が動いた
原因が分かってからも対策は遅れ、被害者が声を上げ続けたことで、ようやく制度が動いた
高度経済成長の時期、生産を優先する中で、工場からの排水や排煙への対策は後回しにされました。その結果、水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくといった深刻な健康被害が各地で起こります。原因の究明、企業の責任、行政の対応、そして補償を求める動きは、長い時間をかけて進みました。1967年に公害対策基本法、1971年に環境庁ができます。
2. 四大公害病
| 名前 | 場所と原因 |
|---|---|
| 水俣病 | 熊本県水俣湾の周辺。チッソ(当時の新日本窒素肥料)水俣工場の排水に含まれたメチル水銀化合物が魚や貝に蓄積し、それを食べた人びとが神経の症状を起こした。1956年5月に患者の発生が初めて報告され、その年の末には52人の患者が確認された |
| 新潟水俣病 | 新潟県阿賀野川の流域。昭和電工鹿瀬工場が原因とされる。1965年5月に患者の発生が報告され、その年の7月には26人の患者と、そのうち5名の死亡が確認された |
| イタイイタイ病 | 富山県神通川の流域。鉱山から流れたカドミウムが原因とされ、骨がもろくなる症状が現れた |
| 四日市ぜんそく | 三重県四日市市。石油化学コンビナートから出た硫黄酸化物などによる大気の汚染で、ぜんそくの症状を訴える人が増えた |
いずれも、そこで生活し、その土地の魚を食べ、その空気を吸っていた人びとが被害を受けました。子どもや、生まれる前に影響を受けた人もいます。
3. なぜ被害が広がったのか
- 原因が分からない期間が長かった水俣では、1956年の公式確認のあと、熊本大学の研究班が魚介類を通じた中毒であることを報告するが、原因物質の特定と企業の責任をめぐって議論が続いた。
- 分かってからも排出が続いたチッソは1959年ごろまでに工場排水が原因であることを社内で把握していたとされるが、排水は続き、患者は増えていった。
- 地域の事情大きな工場は地域の雇用と税収を支えており、被害を訴えることが難しい空気もあった。患者や家族が差別を受けることもあった。
- 行政の対応の遅れ国が水俣病の原因をチッソの排水によるものと正式に認めたのは1968年で、公式確認から12年後だった。
- 裁判へ被害者と家族は、補償と責任の明確化を求めて交渉と訴訟を続けた。1970年前後に四大公害の裁判が相次いで起こされ、いずれも被害者側が勝訴した。
「法律ができて終わった」ではない公害病の被害は、法律や裁判のあとも続きました。だれを患者と認定するか、補償をどうするかをめぐる争いは長く残り、健康の問題は世代をこえて影響しています。歴史の出来事として過去形で語ると見落とす部分がある、ということを押さえておいてください。
4. 制度はどう変わったか
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1956年 | 水俣病が公式に確認される |
| 1965年 | 新潟で患者の発生が報告される。公害審議会が設置される |
| 1967年 | 公害対策基本法が制定される |
| 1968年 | 国が水俣病・イタイイタイ病の原因について見解を示す |
| 1970年 | 公害関係の法律を集中的に審議した国会(公害国会)で、14の法律が成立・改正される |
| 1971年 | 7月1日、環境庁が発足する |
| 1973年 | 公害健康被害補償法が制定される |
1967年の公害対策基本法は、1965年に設置された公害審議会の答申を受けて作られ、公害対策の基本原則と基本的な施策を定めました。1971年の環境庁は、公害の防止、自然環境の保護・整備など、環境の保全に関する行政を総合的に進めることを主な任務として、総理府の外局に置かれています。
5. だれが動かしたのか
制度が変わったのは、政府が自然に気づいたからではありません。
- 被害者と家族体の異変を訴え、原因を調べるよう求め、交渉と裁判を続けた。
- 住民運動各地で、工場の操業や新しい開発に対して住民が声を上げた。
- 研究者と医師大学や病院が調査を行い、原因の解明を進めた。
- 報道被害の実態を伝え、社会の関心を広げた。
- 地方自治体国に先がけて独自の条例や協定を結ぶ自治体もあった。
そのうえで国会と行政が動き、法律と役所ができました。順番を逆にしないことが大切です。
6. まちがえやすいところ
- 公害は、成長の副産物として仕方なく起きたのではない。対策を後回しにする選択が重ねられた結果でもある。
- 原因が分かってすぐ止まったのではない。把握されたあとも排出が続き、被害は広がった。
- 法律ができて解決したのではない。認定や補償をめぐる問題はその後も続いた。
- 国が先に動いたのではない。被害者・住民・研究者・報道の働きかけが先にあった。
7. 1分で深掘り
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