講和と日米安保
講和と日米安保 まとめ
1. ひとことで言うと
翌1952年4月28日に発効して占領は終わったが、沖縄などはアメリカの施政権下に残った
朝鮮戦争が続く中、アメリカは日本との講和を急ぎました。1951年9月8日、吉田茂首相らが連合国48か国の代表とともに平和条約に調印します。同じ日、日本とアメリカの間で安全保障条約も結ばれました。両条約は1952年4月28日に発効し、約7年におよんだ占領が終わって、日本は主権国家として独立を回復します。ただし、すべての交戦国と講和したわけではなく、領土の扱いにも制限がありました。
2. サンフランシスコ平和条約
| 決められたこと | 中身 |
|---|---|
| 占領の終了 | 1952年4月28日に発効し、日本は主権国家として独立を回復した |
| 朝鮮 | 日本は朝鮮の独立を承認した |
| 放棄した地域 | 台湾・澎湖島、千島列島・南樺太を放棄した |
| アメリカの施政権 | 沖縄・小笠原諸島については、アメリカの施政権が認められた |
| 国際連合 | 国際連合に協力することが日本に義務づけられた |
3. 日米安全保障条約(1951年)
平和条約と同じ日に調印され、同じ日に発効したのが、日米安全保障条約(正式には「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」)です。
- 前文日本が「自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する」とされた。
- 米軍の駐留「極東における平和と安全を維持するため」に、アメリカ軍が引き続き日本に駐留することを定めた。
- 基地の提供日本が基地を提供する義務を負った。
- 片務的だったアメリカが他国の侵略から日本を防衛する義務は規定されておらず、日本の義務のみを定める内容だった。
4. 「独立回復」といっても、地域差があった
1952年4月28日に主権を回復したのは日本という国ですが、すべての地域がこの日に日本の施政のもとへ戻ったわけではありません。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1952年 | 平和条約が発効し、本土で占領が終わる |
| 1953年 | 奄美群島が返還される |
| 1968年 | 小笠原諸島が返還される |
| 1972年 | 沖縄が返還される |
沖縄では、本土が独立を回復したあとも20年にわたってアメリカの施政権が続きました。この間、沖縄の人びとは日本の法律や選挙の外に置かれ、基地の拡張と隣り合わせの生活を送ります。1分でわかる沖縄返還と戦後外交沖縄はどう復帰したのか
5. 独立後に整えられた仕組み
主権の回復後、日本は国際的な組織への参加を進めます。1952年に国際通貨基金(IMF)へ加盟し、1956年の日ソ共同宣言を経て同年に国際連合へ加盟しました。国内では、保安隊から自衛隊への再編が進みます。
同時に、米軍基地の存在や、憲法と防衛のあり方をめぐって、国内の意見は分かれていきました。この対立が、1950年代後半からの政治の構図をつくっていきます。
6. まちがえやすいところ
- 平和条約はすべての交戦国と結ばれたのではない。ソ連は調印せず、中国は招かれていない。
- 1952年に沖縄も戻ったのではない。沖縄の復帰は1972年、小笠原は1968年、奄美は1953年。
- 1951年の安保条約は対等な内容ではない。アメリカの防衛義務は規定されていなかった。
- 調印と発効は別の日。調印は1951年9月8日、発効は1952年4月28日。
7. 1分で深掘り
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