敗戦直後とGHQ占領
敗戦直後とGHQ占領 まとめ
1. ひとことで言うと
GHQが日本政府に指令を出し、日本政府と役所がそれを実行する間接統治だった
1945年9月2日の降伏文書調印の前後から、連合国軍が日本に進駐しました。最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が置かれ、最高司令官はマッカーサーです。ドイツのように国が分割されて直接統治されたのとは異なり、日本では天皇と政府、議会、役所が残され、GHQの指令を日本政府が実施する形がとられました。同じ時期、海外にいた数百万の軍人と民間人の帰還が始まり、国内では食料も住まいも足りない状態が続きます。
2. 占領の仕組み
- GHQ/SCAP連合国軍最高司令官総司令部。方針を決め、日本政府に指令や覚書を出す。
- 日本政府内閣と各省庁が、指令にもとづいて法律案や政令をつくり、実施する。
- 帝国議会(のち国会)法律を審議して成立させる。選挙も行われた。
- 国民新しい制度のもとで、選挙、労働組合、教育などに関わっていく。
3. 復員と引揚げ
戦争が終わったとき、日本の軍人と民間人は、中国、満州、朝鮮、台湾、南樺太、南方の島々、東南アジアなど、広い範囲にいました。軍人が帰ることを復員、民間人が帰ることを引揚げといいます。
| 地域 | ようす |
|---|---|
| 満州 | 終戦時に約155万人の日本人がいたとされる。ソ連軍の侵攻と混乱の中で避難が始まり、犠牲も大きかった。1946年春にソ連軍が撤退を始めたのち帰還が進み、約101万人が日本へ戻った |
| 朝鮮・台湾 | 日本の支配が終わり、日本人は引きあげた。同時に、日本にいた朝鮮半島出身の人びとの多くも故郷へ戻った |
| 南方各地 | 各地の部隊が武装解除され、順次復員した |
| シベリア抑留 | ソ連軍に捕らえられた人びとがシベリアなどへ送られ、長期間の労働に従事した。帰国は数年にわたって続き、亡くなった人も多い |
帰還は一度に終わったのではなく、何年にもわたって続きました。帰る先を失った人、家族と離ればなれになった人、中国に残された子どもたちもいます。
4. 敗戦直後の暮らし
「戦争が終わって平和になった」だけでは、この時期の生活は説明できません。人びとにとっては、食べること、住むこと、家族を探すことが当面の課題でした。
5. 占領のはじめに何が行われたか
GHQは、日本が再び戦争を起こさないようにすること(非軍事化)と、政治や社会の仕組みを変えること(民主化)を占領の目的に掲げました。軍は解体され、戦争に関わった人びとの公職追放も行われます。
1945年10月、マッカーサーは幣原喜重郎首相に、女性の解放、労働組合の結成、教育の自由化、圧政的な制度の廃止、経済の民主化という五つの改革を求めました(五大改革指令)。これが、その後の戦後改革の出発点になります。1分でわかる戦後改革と日本国憲法制度はどう作りかえられたのか
6. まちがえやすいところ
- GHQが日本を直接統治したのではない。指令を受けた日本政府と役所が実施する間接統治が基本だった。
- 日本全体が同じ扱いだったのではない。沖縄・奄美・小笠原はアメリカ軍の直接統治下に置かれた。
- 復員と引揚げはすぐ終わったのではない。何年も続き、帰れなかった人もいた。
- 占領下に言論の自由がすべてあったのではない。報道や出版には検閲があった。
7. 1分で深掘り
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