植民地・占領地と戦争動員

1分でわかる

植民地・占領地と戦争動員

1937年〜1945年
日本の戦争は、日本本土の外に暮らす人びとに何をもたらしたのか。制度と時期を追って、具体的に見ていきます。
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1分でわかる歴史昭和・戦前戦中

植民地・占領地と戦争動員 まとめ

1. ひとことで言うと

戦争が長引くほど、日本は植民地と占領地から人と物を集めた。
集め方は、募集、行政のあっせん、法律による徴用、徴兵へと、段階的に強まっていった

朝鮮と台湾は、日中戦争が始まるころには日本の植民地になって数十年がたっていました。戦争が長期化すると、これらの地域では日本語の使用や神社への参拝を求める皇民化政策が強められ、労働力と兵力の動員が進みます。満州や中国の占領地、東南アジアでも、資源と食料、労働力が集められました。動員の仕組みは地域と時期によって異なり、一つの言葉ではまとめられません。

2. どこが対象だったのか

地域立場
朝鮮1910年の併合以来の植民地。朝鮮総督府が統治した
台湾1895年以来の植民地。台湾総督府が統治した
南樺太日露戦争後に得た地域
南洋諸島第一次世界大戦後の委任統治領。南洋庁が置かれた
満州満州国。日本人官吏と関東軍が実質的な決定権をもった
中国の占領地日本軍が占領し、協力政権が置かれた地域
東南アジア太平洋戦争で占領し、軍政を敷いた地域

明治以来の植民地支配の流れは、こちらで扱っています。1分でわかる韓国併合と植民地支配の拡大段階を追って強まった支配

3. 皇民化政策

1939年、朝鮮では皇民化・工業化・南進基地化という三つの政策が掲げられました。日本語の使用、神社への参拝、天皇への忠誠を示す言葉の唱和などが学校や職場で求められます。

1940年2月には創氏改名が実施されました。朝鮮の人びとに、日本式の氏をつくり名を改めることを認める形をとりましたが、届け出をしないと不利益を受ける状況があり、多くの人が応じることになりました。台湾でも、日本式の姓名への改称を認める仕組みが設けられています。

1943年には、朝鮮でも台湾でも教育制度の改正が行われ、内地(日本本土)と同じ扱いに近づける措置がとられました。これは、権利を同じにするというより、兵役や動員の対象として組みこむ前提を整える意味をもっていました。

4. 労働の動員:段階を追って強まった

「全員が強制連行された」とも「すべて自発的だった」とも言えません。制度と時期を分けて見る必要があります。

時期・方式中身
募集1939年〜企業が募集し、行政が便宜をはかった。賃金や労働条件についての説明と実際が違う例も多かった
官あっせん1942年〜行政が割り当てを受け、地域ごとに人を集めた。断りにくい圧力が働いた
徴用朝鮮では1944年9月〜国民徴用令が日本への労働力動員に適用され、法律上の義務として動員された
勤労動員1945年〜国民勤労動員令が朝鮮にも適用された

動員された人びとは、炭鉱、鉱山、土木、造船、工場などで働きました。危険な作業や長時間労働、逃亡を防ぐための管理、賃金の未払いなどが記録されています。募集に応じた人も、割り当てで集められた人も、法律で徴用された人もいました。どの段階だったかによって、強制の度合いは異なります。

5. 兵力の動員

年できごと
1938年2月朝鮮人特別志願兵制度が閣議決定される
1942年4月台湾で陸軍の志願兵の訓練所が置かれ、高砂義勇隊の送出が始まる
1942年5月朝鮮に徴兵制を施行する準備が閣議決定される
1943年8月台湾で兵役法が改正され、徴兵制が実施される。海軍特別志願兵令も施行
1943年10月朝鮮で学徒志願兵制度が実施される
1944年5月朝鮮で兵役法が施行され、徴兵検査が始まる
1945年4月台湾で徴兵制度が実施される

はじめは志願の形をとり、のちに徴兵へと変わりました。志願といっても、地域ごとの目標数があり、学校や役所を通じて勧められる状況がありました。軍人としてだけでなく、軍属として輸送や捕虜の監視などにあたった人も多く、戦後に戦争犯罪を問われた人もいます。

6. 慰安婦とよばれた女性たち

日本軍が設けた施設で、兵士を相手にすることを強いられた女性たちがいました。1993年、日本政府は調査の結果として、次の内容を公表しています。

政府の調査が認めた内容長期にわたり、広い地域に慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したこと。慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理、慰安婦の移送には旧日本軍が直接あるいは間接に関与したこと。募集については軍の要請を受けた業者が主にあたったが、その場合も甘言や強圧によるなど、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに官憲などが直接これに加担したこともあったこと。慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであったこと。戦地に移送された女性の出身地は、日本を別とすれば朝鮮半島が大きな比重を占め、その募集、移送、管理も、総じて本人たちの意思に反して行われたこと。

つまり、制度として存在したこと、軍が関与したこと、本人の意思に反して集められた事例が数多くあったことは、政府の調査で認められています。一方で、全体の人数については、日本政府は、発見された資料に総数を示すものはなく、推認させるに足りる資料もないため確定は困難だとしています。ここでは、人数を一つの数字に決めることはせず、何が制度としてあり、だれがどう関わったのかを確認しておきます。

7. 占領地の人びと

中国の占領地では、食料や資源が現地から集められ、抵抗する勢力への掃討作戦が行われました。東南アジアでは、軍政のもとで資源と労働力が動員され、鉄道や飛行場の建設に現地の人びとや連合国の捕虜が動員されています。輸送や食料の不足から、多くの死者が出た現場もありました。

捕虜の扱いについても、国際的な取り決めに反する行為があり、戦後の裁判で問われることになります。

一文で決めない日本政府は、欧米の植民地支配からの解放と共栄を掲げました。実際に、現地の独立運動と協力した場面もあります。しかし同時に、占領地の人びとには食料の供出や労働の動員が課され、抵抗は武力で抑えられました。掲げられた理念と、実際に行われたことを分けて見ることが必要です。

8. まちがえやすいところ

  • 動員の仕組みは一つではない。募集、官あっせん、徴用、徴兵と段階があり、時期も地域も異なる。
  • 「志願」と書かれていても、選べたとは限らない。目標数があり、勧める仕組みが働いていた。
  • 慰安婦制度の存在は、あいまいではない。軍の関与と、意思に反して集められた事例は政府の調査で認められている。
  • 占領地の統治は、理念だけでも略奪だけでも説明できない。掲げたことと行ったことを分けて見る。

9. 1分で深掘り

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1分でわかる空襲・沖縄戦・原子爆弾戦争末期の被害 1分でわかる太平洋戦争占領地が広がった経緯 ← 昭和・戦前戦中にもどる

関連テーマ:朝鮮総督府/台湾総督府/皇民化政策/創氏改名/志願兵制度/徴兵制/国民徴用令/官あっせん/軍属/捕虜/大東亜共栄圏

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