国家総動員と戦時下の暮らし

1分でわかる

国家総動員と戦時下の暮らし

1938年〜1945年
戦争が長引くと、政府は人・物・情報をどこまで戦争に動員したのか。法律と、日々の暮らしの両方から見ていきます。
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1分でわかる歴史昭和・戦前戦中

国家総動員と戦時下の暮らし まとめ

1. ひとことで言うと

国家総動員法は、政府が議会を通さずに人や物を動かせるようにした法律。
そのもとで、働き方、食べるもの、着るもの、聞く情報までが戦争に合わせて作りかえられた

1938年4月1日、第1次近衛文麿内閣のもとで国家総動員法が公布されました。この法律は、戦時に国の全力を発揮させるため、人的・物的資源を統制運用することと定め、必要と認められる事柄について政府が広く統制できるようにしたものです。以後、賃金、価格、労働力、資金などが次々と勅令で統制されていきます。町内会や隣組がつくられ、配給や切符制が広がり、子どもたちは学校で働くようになりました。

2. 国家総動員法(1938年)

国家総動員法の特徴は、何をどう統制するかを法律で細かく決めず、必要が生じたときに政府が勅令で定められるようにした点にあります。議会は法律をつくる段階で関わりますが、実際の中身は政府が決めることになりました。

勅令内容
国民徴用令1939年国が必要とする仕事に、人を動員できるようにした
価格等統制令1939年物の値段を政府が決め、値上げを禁じた
賃金統制令1939年賃金の額を統制した
重要産業団体令ほか産業ごとの団体、資金の運用、株式の価格などを統制した

「政府が決められる範囲が広い法律をつくる」という形そのものが、議会の役割を小さくしていきました。

3. 大政翼賛会と翼賛体制

1940年、新しい体制をつくろうという動きの中で、既成の政党は自ら解散していきます。同年10月12日、第2次近衛文麿内閣のもとで大政翼賛会が発足しました。

「一党独裁になった」では説明が足りない大政翼賛会は、革新的な主張をする人びとに加えて、旧来の政党関係者も抱えこんだ組織でした。「近衛幕府」「憲法違反」といった批判も受けています。翌1941年2月には公事結社と認定され、政治活動を禁じられました。政党ではなく、内務省の指導のもとで行政を補助する組織へと改められたのです。ナチス党のような一つの政党が国家を支配した仕組みとは異なります。

議会は戦争中も存在し続けました。1942年4月30日には総選挙が行われます。このとき、翼賛政治体制協議会が議員定数と同数の466名を推薦し、1079名の立候補者のうち、推薦を受けた381名と推薦を受けていない85名が当選しました(翼賛選挙)。推薦を受けずに当選した議員もいた一方、選挙は政府に協力する体制をつくる形で進められました。

4. 暮らしはどう変わったか

分野変化
食べる米などが配給になり、通帳や切符で受け取る仕組みになった。量は次第に減り、代用食も使われた
衣類と物資衣料も切符制になった。寺の鐘や家庭の金属が供出され、兵器の材料にあてられた
住む地域町内会と隣組が整えられ、配給、防空訓練、募金、回覧板などを担った
働く徴用で工場などへ動員された。女性も女子挺身隊として工場で働いた
学ぶ1941年に小学校が国民学校となる。1943年には学生の徴兵猶予が停止され、学徒出陣が始まった。生徒は学徒動員で工場へ
知る1940年に内閣情報局が置かれ、各省が行っていた情報・宣伝と、言論・報道の指導や取りしまりが一元化された

1944年6月には学童疎開促進要綱が決定され、防空のため、国民学校初等科3年から6年の児童が、保護者の申請にもとづいて集団で疎開しました。縁故をたよる疎開が原則で、それが難しい場合に集団疎開が行われる形です。

5. 人びとは、どう受けとめたのか

「全国民が戦争に熱狂していた」とも、「全国民が無理やり従わされていただけ」とも言えません。

  • 支持戦果の報道に喜び、出征を見送り、募金や慰問を行った人が多くいた。
  • 協力と同調隣組や職場で周囲と同じようにふるまうことが求められ、そうしないと生活が難しい面があった。
  • 生活上の適応配給を受け、代用品を工夫し、疎開するなど、置かれた状況に合わせて暮らした。
  • 不満食料不足、物価、働き手を取られることへの不満は各地にあった。
  • 処罰への恐れ戦争に批判的な言動は取りしまりの対象になり、口に出しにくかった。

同じ人でも、時期や立場によって受けとめ方は変わります。一人ひとりの気持ちを一つにまとめて語ることはできません。

6. 情報はどう伝わったか

新聞とラジオは、戦争の経過を伝える主な手段でした。軍の発表(大本営発表)が報道の中心となり、内閣情報局のもとで記事や放送の内容が指導・検閲されます。戦争の初期には実際の戦果に近い発表もありましたが、戦局が悪化するにつれて、損害を小さく、戦果を大きく伝える発表が増えていきました。

人びとは、与えられた情報の範囲で判断するほかありません。「だまされていた」と一言でまとめるのではなく、何が伝えられ、何が伝えられなかったのかを見ることが必要です。

7. まちがえやすいところ

  • 国家総動員法は、統制の中身まで法律で決めたのではない。政府が勅令で決められる形にした。
  • 大政翼賛会は政党ではない。1941年に公事結社とされ、政治活動を禁じられた。
  • 議会は戦争中もあった。1942年には総選挙も行われている。
  • 国民の受けとめ方は一つではない。支持も、同調も、不満も、恐れもあった。

8. 1分で深掘り

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関連テーマ:国家総動員法/国民徴用令/価格等統制令/配給/切符制/隣組/大政翼賛会/翼賛選挙/国民学校/学徒出陣/女子挺身隊/学童疎開/内閣情報局/大本営発表

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