普通選挙と治安維持法
普通選挙と治安維持法 まとめ
1. ひとことで言うと
その直後に大規模な検挙(三・一五事件)があり、同じ年に治安維持法が改められて最高刑が死刑になった
1925年に成立した法律にもとづく最初の普通選挙は、1928年2月20日、田中義一内閣のもとで行われました。有権者が大きく増え、労働者や農民の支持を求める無産政党も議席を得ます。ところがその約3週間後、政府は日本共産党の関係者を全国で一斉に検挙しました。さらに同じ年の6月、緊急勅令によって治安維持法が改められ、刑が重くなります。参加が広がることと、取りしまりが強まることが、同時に進みました。
2. 最初の男子普通選挙(1928年)
1925年の改正で、納税額による条件がなくなり、満25歳以上の男性が投票できるようになりました。その最初の実施が、1928年2月20日の第16回衆議院議員総選挙です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 投票できた人 | 満25歳以上の男性。女性には選挙権がなかった |
| 対象外 | 公私の救済を受けている人。また、植民地とされた朝鮮・台湾に住む人びとも対象ではなかった |
| 新しい動き | 労働者や農民の支持を求める無産政党が、合わせて8議席を得た |
| 結果 | 政友会と民政党の二大政党が議席の大半を占め、両党は拮抗した |
制度の成り立ちは大正のページで扱っています。1分でわかる男子普通選挙法と治安維持法1925年に何が決まったのか
3. 三・一五事件(1928年)
1928年3月15日、政府は日本共産党とその関係者を、全国で一斉に検挙しました。検挙されたのは1600人を超えるとされます。翌1929年4月16日にも同じような一斉検挙が行われました(四・一六事件)。
4. 治安維持法の改正(1928年)
1928年6月29日、治安維持法が緊急勅令によって改められました(勅令第129号)。議会を通さず、緊急の必要があるとして出された形です。
| くらべる点 | 1925年の制定時 | 1928年の改正後 |
|---|---|---|
| 国体を変えることを目的とする結社 | 組織した者・加入した者は10年以下の懲役または禁錮 | 組織した者や指導者は、死刑・無期・5年以上の懲役または禁錮 |
| 加入した者 | 同じ規定の中でまとめて扱われた | 2年以上の有期の懲役または禁錮 |
| 結社の目的のための行為 | 明確な規定はなかった | 結社に入っていなくても、その目的のために行為をした者を処罰できるようになった |
| 私有財産制度の否認 | 国体の変革と同じ条文で扱われた | 別に定められ、10年以下の懲役または禁錮 |
5. 特別高等警察と「転向」
思想や政治運動を取りしまる警察は特別高等警察(特高)とよばれ、1928年以降、全国の府県に置かれていきます。取り調べでは暴行が加えられることもあり、拘束中に亡くなった人もいました。
捕らえられた人が、自分の思想を捨てると表明することを「転向」といいます。1933年には日本共産党の指導者が獄中で転向を表明し、多くの人がこれに続きました。刑を軽くする、あるいは起訴しないという扱いと結びついていたため、転向は本人の考えだけによるものとは限りません。
6. 参加と統制は、同時に進んだ
1928年という一つの年に、選挙権の拡大が実際に形になり、大規模な検挙が行われ、刑罰が重くされました。選挙と議会は、この後も続きます。一方で、議会の外で主張を広げる運動には、強い制限がかかるようになりました。
治安維持法は、戦争が続く間もさらに使われ、1941年には予防拘禁の制度も加えられます。この法律が廃止されるのは、第二次世界大戦後の1945年10月です。
7. まちがえやすいところ
- 普通選挙で全員が投票できたのではない。満25歳以上の男性だけで、女性や植民地の人びとは対象外だった。
- 三・一五事件は、選挙と無関係ではない。普通選挙で無産政党が議席を得た直後に行われた。
- 1928年の改正は、議会が決めたのではない。緊急勅令という形で出された。
- 取りしまりの対象は、共産党だけにとどまらなかった。「目的のための行為」という規定で範囲が広がった。
8. 1分で深掘り
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1分でわかる満州事変と満州国1931年、政治の流れが大きく変わる 1分でわかる五・一五事件と二・二六事件政党内閣はなぜ続かなくなったのか ← 昭和・戦前戦中にもどる関連テーマ:第16回総選挙/田中義一/無産政党/労働農民党/三・一五事件/四・一六事件/緊急勅令/目的遂行/特別高等警察/転向
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