明治政府と廃藩置県
明治政府と廃藩置県 まとめ
1. ひとことで言うと
これによって、政府が任命した役人が全国を治める仕組みができた
王政復古で新しい政府ができても、全国には藩が残り、大名がそれぞれの領地を治めていました。税も軍隊もばらばらで、政府が国全体を動かすことはできません。そこで新政府は、1869年に版籍奉還、1871年に廃藩置県を行い、藩を県に変えて、政府が任命した知事が各地を治める形をつくりました。同じころ、北海道や琉球も、政府が直接治める地域として組みこまれていきます。
2. 出発点:新政府のかたち
1868年、新政府は五箇条の御誓文で基本方針を示し、政体書で政府の仕組みを定めました。江戸は東京と改められ、元号も明治になります。しかしこの時点では、まだ戊辰戦争が続いており、全国の統治は藩に任されたままでした。1分でわかる幕末から明治へ新政府の最初の一歩
3. 版籍奉還(1869年)
1869年1月、長州・薩摩・肥前・土佐の4藩主が、領地(版)と領民(籍)を天皇に返上することを申し出ました。ほかの藩もこれにならい、6月、政府は申し出を認めるとともに、まだ出していない藩には版籍奉還を命じます。
4. 廃藩置県(1871年)
1871年7月14日、廃藩置県の詔が出されました。知藩事はすべて辞めさせられ、東京に住むことを命じられます。かわりに、政府が任命する府知事・県知事が各地の行政を行うことになりました。藩はすべて県となり、全国は3府302県になります。県はその後まとめられ、数が大きく減っていきました。
| くらべる点 | 版籍奉還(1869年) | 廃藩置県(1871年) |
|---|---|---|
| 形のうえで | 土地と人民を天皇に返した | 藩そのものを廃止して県にした |
| 治めた人 | 旧藩主が知藩事として、そのまま治めた | 政府が任命した知事が治めた |
| 旧藩主 | 地元に残った | 東京に住むことを命じられた |
| 実際の支配 | 大きくは変わらなかった | 中央政府が全国を直接治める形になった |
5. なぜ藩をなくす必要があったのか
大きな反発が起きなかった背景には、政府が薩摩・長州・土佐の兵を集めて備えていたこと、藩の財政がすでに行きづまっていたことなどが挙げられます。
6. 国の形と領域
これらは、自然に領土が決まっていったのではなく、政府の政策と外交交渉、そして現地で暮らす人びとへの働きかけによって進められたものでした。
7. まちがえやすいところ
- 版籍奉還で、藩がなくなったのではない。旧藩主が知藩事として、引き続き治めていた。
- 廃藩置県は、県の名前を変えただけではない。政府が任命した知事が治める仕組みに変わった。
- 北海道や沖縄が、自然に日本の領域になったのではない。政策と外交によって進められ、現地の人びとの暮らしも大きく変えられた。
- アイヌの人びとは、昔の存在ではない。今も暮らしており、2008年には国会で先住民族と認める決議が行われた。
8. 1分で深掘り
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