明治の産業革命と社会問題
明治の産業革命と社会問題 まとめ
1. ひとことで言うと
同時に、長時間労働や公害など、新しい社会問題が生まれた
1880年代、政府は官営の工場を民間に払い下げ、産業の中心は会社へ移っていきます。まず生糸や綿糸をつくる軽工業が発達し、日清戦争のあとには鉄鋼などの重工業も始まりました。鉄道が全国に延び、石炭の採掘も進みます。しかし、工場で働く人びとの労働条件は厳しく、鉱山の開発は深刻な公害も引き起こしました。
2. 軽工業から重工業へ
| 分野 | ようす |
|---|---|
| 製糸 | 生糸は最大の輸出品だった。器械製糸が広がり、長野や群馬などに工場が集まった。働き手の多くは若い女性 |
| 紡績 | 綿糸をつくる大きな工場が大阪などに建てられ、輸入品にかわって国内の需要をまかない、やがて輸出するようになった |
| 鉄鋼 | 1901年、官営の八幡製鉄所が操業を始めた。日清戦争の賠償金などが建設にあてられ、重工業の出発点になった |
| 鉄道 | 1889年に東海道線が全線開通。民間の鉄道会社も多く、1906年の鉄道国有法で主要な路線が国有化された |
| 石炭 | 工場と汽船、鉄道の燃料として需要が増え、九州や北海道で採掘が進んだ |
払い下げを受けた事業を足がかりに、三井や三菱、住友などが、銀行を中心にさまざまな分野の会社をもつ財閥へと成長していきました。
3. 働く人びとの暮らし
製糸や紡績の工場で働いたのは、農村から来た若い女性が中心でした。多くは寄宿舎で生活し、一日の労働時間は長く、賃金は低いものでした。紡績工場では昼と夜の二交代で機械を動かし続けることもありました。鉱山や工場での事故も多く起こっています。
労働条件の改善を求めて、労働組合をつくる動きや、ストライキも起こるようになります。政府は1900年の治安警察法などで、こうした運動を取りしまりました。
4. 農村と都市の変化
地租改正のあと、税を払えずに土地を手放す農家が増え、土地を借りて耕す小作が広がりました。農村からは、工場や都市へ働きに出る人が増えます。都市には人口が集まり、住まいや衛生の問題も生まれました。生糸や綿糸の輸出が伸びる一方で、繭や米の値段の動きに、農村の暮らしは大きく左右されました。
5. 足尾銅山の鉱毒
栃木県の足尾銅山では、銅の生産が増えるにつれて、渡良瀬川とその流域で魚が減り、草木が枯れる被害が広がりました。1880年代の後半から、その原因は鉱山の鉱毒ではないかと言われるようになります。
1891年12月、第2回帝国議会で、衆議院議員の田中正造がこの問題を初めて取り上げ、鉱山の採掘許可の取り消し、被害の救済、今後の鉱害の予防などについて政府に質問しました。被害を受けた農民たちは、東京へ向かう請願行動を繰り返します。政府は洪水対策として谷中村を廃村にし、遊水池をつくりました。田中正造は議員を辞めたあとも、この問題に生涯を通じて取り組みました。
6. まちがえやすいところ
- 産業の発展は、政府の政策だけで進んだのではない。民間の会社と、多くの働き手が支えた。
- 産業が発達して、みんなの暮らしがすぐ豊かになったのではない。長時間労働や低い賃金の問題があった。
- 工場法ができて、問題がすぐ解決したのではない。対象は限られ、施行も5年後だった。
- 公害は、現代だけの問題ではない。足尾銅山の鉱毒は、明治の議会でも取り上げられた。
7. 1分で深掘り
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