1分でわかる
← 幕末にもどる
幕末から明治へ
1867年末〜1869年(幕末 → 明治へ)
幕府がなくなったあと、日本は何を変えなければならなかったのか。新しい政府の最初の一歩と、明治へ引きつがれた課題を見ていきます。
1分でわかる歴史幕末 → 明治
幕末から明治へ まとめ
1. ひとことで言うと
幕府を倒したことで、すべてが終わったのではない。
新しい政府は、戦争を続けながら、天皇を中心とする国づくりを始めた
新しい政府は、戦争を続けながら、天皇を中心とする国づくりを始めた
王政復古で新しい政府の成立が宣言されても、全国にはまだ多くの藩があり、それぞれの大名が土地と人びとを治めていました。新しい政府は、戊辰戦争を戦いながら、国の方針を示し、首都や元号を改めていきます。幕府にかわる新しい国の仕組みをどうつくるかという大きな課題は、明治の時代に引きつがれていきました。
2. 新しい政府の最初の一歩
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1867年12月 | 王政復古の大号令。総裁・議定・参与の三職が置かれる |
| 1868年1月 | 鳥羽・伏見の戦い。戊辰戦争が始まる |
| 1868年3月 | 五箇条の御誓文で、新しい政府の基本方針を示す |
| 1868年閏4月 | 政体書を出し、政府の仕組みを定める |
| 1868年7月 | 江戸を東京と改める |
| 1868年9月 | 元号を明治に改め、天皇一代に元号を一つとする(一世一元) |
| 1869年 | 天皇が東京に移り、政府も東京へ移る。5月に戊辰戦争が終わる |
3. 五箇条の御誓文
1868年3月14日、明治天皇は京都の御所で、公家や大名たちとともに神々に誓う形で、新しい政府の基本方針を示しました。これが五箇条の御誓文です。広く会議を開いて政治を話し合いで決めることや、知識を世界に求めることなどが示されました。
一方で、その翌日には、人びとの守るべき心得を示す立て札(五榜の掲示)が出され、キリスト教の禁止など、江戸時代からの決まりの多くがそのまま引きつがれました。新しい方針と古い仕組みが、しばらく並んでいたのです。
4. 江戸から東京へ、慶応から明治へ
東京1868年7月、江戸を東京と改める詔書が出され、東京府が置かれました。翌1869年には天皇が東京に移り、政府も東京に置かれるようになります。
明治1868年9月、元号が慶応から明治に改められました。このとき、天皇一代のあいだは元号を一つとする「一世一元」の制度も定められました。慶応4年の途中で改元されたため、この年は明治元年として数えられます。
5. 明治へ引きつがれた課題
幕府がなくなったあとも、変えなければならないことは多く残っていました。
| 課題 | 残っていた状態 |
|---|---|
| 藩 | 全国に藩が残り、大名が土地と人びとを治めていた。政府が全国を直接治める仕組みはまだなかった |
| 身分 | 武士・百姓・町人などの身分の仕組みが残っていた |
| 財政 | 政府の収入の仕組みが整っておらず、戦争の費用もかさんでいた |
| 軍事 | 兵力の多くは各藩のもので、国全体の軍隊はなかった |
| 外交 | 幕府が結んだ不利な条約を引きつぎ、改正が課題になった |
これらの課題に、新しい政府がどう取り組んだかは、明治のページで整理します。
6. 幕末と明治は、重なっている
1868年は、幕末の戦争が続く年であると同時に、明治の新しい政治が始まった年でもあります。1分でわかる歴史では、幕府の仕組みが崩れていく過程を幕末、新しい政府がどんな国をつくったかを明治として整理しますが、ある日を境に時代が一気に切り替わったのではありません。
7. まちがえやすいところ
- 1868年1月1日から、完全に明治になったのではない。改元は1868年9月で、その年は明治元年として数える。
- 幕府がなくなって、すぐに藩もなくなったのではない。藩は、明治になってからもしばらく残った。
- 五箇条の御誓文で、すべてが新しくなったのではない。キリスト教の禁止など、古い決まりもしばらく続いた。
- 「幕府を倒した」で、終わりではない。新しい国の仕組みづくりは、ここから始まった。
8. 1分で深掘り
1分でわかる戊辰戦争新しい政府と同時に進んでいた戦い ← 幕末にもどる関連テーマ:五箇条の御誓文/五榜の掲示/政体書/東京/一世一元/明治天皇
コメント