日米修好通商条約と安政の大獄
日米修好通商条約と安政の大獄 まとめ
1. ひとことで言うと
将軍のあとつぎ問題も重なり、幕府と朝廷、幕府の内部で対立が深まった
1858年、幕府はアメリカと日米修好通商条約を結び、貿易を始めることになりました。しかし、孝明天皇はこの条約を許しておらず、幕府は強い批判を受けます。同じころ、次の将軍をだれにするかをめぐっても、大名たちが二つに分かれて争っていました。こうした対立の中で安政の大獄が起こり、1860年には大老の井伊直弼が殺される桜田門外の変が起こります。
2. 通商条約の交渉
1856年、アメリカの総領事ハリスが下田に着任し、貿易を認める条約を求めました。幕府の担当者がハリスと交渉して条約の内容をまとめましたが、多くの大名が「調印には天皇の許し(勅許)を得るべきだ」と意見を出します。
1858年、老中の堀田正睦は京都へ行き、孝明天皇に許しを求めました。しかし天皇は許しを出しませんでした。幕府が朝廷に伺いを立てたことが認められないのは、それまでにないことでした。
3. 将軍のあとつぎ問題
同じころ、13代将軍の徳川家定には子がなく、次の将軍をだれにするかが大きな問題になっていました。
| グループ | 推した人 | 主な人びと |
|---|---|---|
| 一橋派 | 一橋慶喜(のちの徳川慶喜) | 水戸の徳川斉昭、越前の松平慶永、薩摩の島津斉彬など。有力な大名が政治に加わることを求めた |
| 南紀派 | 紀伊藩主の徳川慶福(のちの家茂) | 譜代大名など。将軍家に近い血筋を重んじ、幕府の政治は従来どおり譜代大名や幕臣が担うべきだと考えた |
一橋派は、朝廷にも働きかけました。外交の問題とあとつぎの問題が結びつき、朝廷を巻きこんだ政治の争いになっていったのです。
4. 井伊直弼と条約の調印
1858年4月、譜代大名の井伊直弼が大老に就任しました。直弼は、あとつぎを徳川慶福に決め、条約については天皇に説明して許しを得る方針でした。
ところが6月、ハリスは、イギリスとフランスの艦隊がまもなく日本に来ると伝え、すぐに調印するよう求めます。直弼は天皇への説明を優先するよう主張しましたが、交渉役の役人から「やむを得ない場合は調印してよいか」と問われて認め、役人たちはその日のうちに条約に調印しました。
5. 条約の何が「不平等」だったのか
条約では、神奈川(横浜)・長崎・箱館・新潟・兵庫の開港、江戸と大坂での商取引、自由な貿易、アメリカの公使が江戸に住むことなどが決められました。その中には、日本にとって不利な取り決めがありました。
| 取り決め | どういうことか | なぜ不利か |
|---|---|---|
| 領事裁判権 | 日本で罪をおかしたアメリカ人は、日本の法律ではなく、アメリカの領事がアメリカの法律で裁く | 日本の法律で外国人を裁けない。日本人がアメリカで同じ権利をもつわけではなかった |
| 関税 | 輸入品にかける税(関税)の率を、日本だけで決めることができず、相手国との取り決めで定める | 国内の産業を守るために、日本が自由に税率を上げることができない(関税自主権がない) |
幕府は、アメリカに続き、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同じような条約を結びました(安政の五か国条約)。これらの条約の改正は、明治時代の大きな課題になります。
6. 貿易が始まって、何が起きたか
1859年に貿易が始まると、生糸などが大量に輸出され、国内では品不足が起きました。物価が上がり、金貨も海外へ流れ出して、人びとの暮らしは苦しくなります。こうした混乱が、外国や幕府への反感を強めていきました。
7. 安政の大獄
勅許のない調印は、幕府の外から見れば、天皇の意向を無視したものに映りました。1858年8月、孝明天皇は幕府の政治を批判する文書(戊午の密勅)を、幕府を通さずに水戸藩に出します。天皇が一つの藩に直接命令を下すことは、それまでの幕府と朝廷の関係を根本からゆるがすことでした。
幕府は、この密勅に関わった人びとを捕らえ、取り調べを進めました。その中で幕府を倒す計画も明らかになったとして、公家や大名、武士などを厳しく処罰します。これが安政の大獄です。一橋派の大名は隠居や謹慎を命じられ、長州の吉田松陰、越前の橋本左内らは死罪となりました。
8. 桜田門外の変
1860年3月3日、江戸城に向かう井伊直弼の行列が、桜田門の外で水戸藩を抜けた浪士17人と薩摩藩を抜けた浪士1人に襲われ、直弼は殺されました。幕府の最高の役職にある大老が、江戸城のすぐそばで殺されたことで、幕府の権威は大きく傷つきました。
9. まちがえやすいところ
- 「不平等条約」は、ただの暗記語ではない。日本の法律で外国人を裁けないこと、関税を日本だけで決められないことが問題だった。
- 和親条約と通商条約は、ちがう条約。貿易が始まったのは通商条約から。
- 安政の大獄は、感情的な処罰だけで起きたのではない。条約、あとつぎ問題、朝廷の密勅が重なっていた。
- 朝廷が幕府の伺いを認めなかったのは、異例のことだった。ここから、朝廷の意向が政治を大きく動かすようになる。
10. 1分で深掘り
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