1分でわかる
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桃山文化
16世紀後半〜17世紀初め
天守のそびえる城、金色にかがやく障壁画、そして静かな茶室。全国の統一が進んだ時代に、どんな文化が生まれたのでしょうか。
1分でわかる歴史安土桃山時代
桃山文化 まとめ
1. ひとことで言うと
天下人や大名が力を見せるための、大きくはなやかな文化と、
簡素さを大切にする茶の湯が、同じ時代に育った
簡素さを大切にする茶の湯が、同じ時代に育った
信長や秀吉、各地の大名たちは、巨大な城を築き、その中を金を使った障壁画でかざりました。豊かな商人たちも力をつけ、茶の湯などの文化を支えます。ヨーロッパから伝わった南蛮文化も加わりました。はなやかさと、静けさ。武士、公家、町の商人、そして海外の人びと。いくつもの流れが交わって生まれたのが、桃山文化です。
2. なぜ、はなやかになったのか
力を見せるため全国の統一を進めた天下人や大名にとって、城や屋敷は、自分の力を人びとやほかの大名に示す場所でした。大きさや、金を使ったかざりには、そうした意味がありました。
富が集まったため鉱山から多くの金や銀がとれ、城下町や港町では商業が盛んになりました。大名や商人の手元に集まった富が、文化を支えました。
3. 城と障壁画
| もの | ようす |
|---|---|
| 城 | 高い石垣の上に天守をそびえさせた城が築かれた。信長の安土城、秀吉の大坂城や、京都の屋敷の聚楽第などが知られる |
| 障壁画 | 城や屋敷のふすまや屏風に、金箔を使った豪華な絵がえがかれた。狩野永徳らの狩野派の絵師が活躍した |
こうした城の多くは、戦国時代の山城とはちがい、政治と権力の中心としてつくられました。1分でわかる城と城下町・戦国の経済戦国時代の城は、どんな姿だったのか
4. 茶の湯:もうひとつの桃山文化
千利休とわび茶堺の商人の出身の千利休は、小さく簡素な茶室で、心を静めて茶を楽しむ「わび茶」を大成しました。室町時代から続く茶の湯の流れを受けついだものです。1分でわかる北山文化と東山文化室町時代に始まった茶の湯
はなやかさと静けさが、同時に秀吉は、金ぱくを張った「黄金の茶室」をつくる一方で、利休を重く用い、京都の北野で身分を問わず人びとを招く大きな茶会も開きました。茶の湯は、大名や商人たちの交流や政治の場にもなっていたのです。のちに利休は、秀吉の命令で自害しました。
5. 海外から来た文化
| もの | ようす |
|---|---|
| 南蛮文化 | 南蛮人(ポルトガル人やスペイン人)の姿をえがいた南蛮屏風がつくられ、衣服や食べ物などにも南蛮の影響が見られた |
| 活字印刷 | 宣教師が持ちこんだ活字による印刷や、朝鮮から伝わった活字による印刷が行われた |
| 焼き物 | 朝鮮出兵のときに日本に連れて来られた朝鮮の陶工たちによって、各地で新しい焼き物がつくられるようになった |
6. まちがえやすいところ
- 桃山文化は、豪華なだけの文化ではない。簡素さを大切にするわび茶も、同じ時代に大成された。
- わび茶は、利休が一からつくったのではない。室町時代から続く茶の湯の流れを受けついで大成した。
- 天守のある大きな城は、この時代から広まった。戦国時代の城の多くは、天守のない山城だった。
- 文化を支えたのは、天下人や大名だけではない。商人や町の人びと、海外から来た人びとも関わった。
7. 1分で深掘り
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