鉄砲・キリスト教・南蛮貿易
鉄砲・キリスト教・南蛮貿易 まとめ
1. ひとことで言うと
鉄砲、キリスト教、南蛮貿易が、戦国の社会に新しい動きをもたらした
16世紀、ポルトガルやスペインの人びとは、船でアジアに進出していました。中国や東南アジアとの交易の中で日本にも来航し、鉄砲を伝え、キリスト教を広め、貿易を行います。日本では、鉄砲はやがて国内でもつくられるようになり、各地の大名が南蛮貿易や宣教師との関係に関心を寄せました。
2. そのころの東アジアの海
このころ、明は民間の海外貿易をきびしく制限していました。そのため、中国や日本、東南アジアの人びとによる密貿易が広がり、武装した貿易商人たちも活動していました(後期の倭寇)。ポルトガルの人びとも、こうした東アジアの海の交流の中に入りこんで日本にやって来たのです。1分でわかる足利義満と日明貿易明との貿易と、倭寇
3. 鉄砲の伝来と広がり
- 1543年ごろ種子島(いまの鹿児島県)に着いた船に乗っていたポルトガル人が、鉄砲を伝える。島の領主は鉄砲を買い、職人にまねてつくらせた。伝来の年は1542年とする記録もある。
- 国内での生産やがて、堺(いまの大阪府)や近江の国友(いまの滋賀県)などで、鉄砲がつくられるようになる。
- 広がり鉄砲は少しずつ各地の大名に広まり、足軽の鉄砲隊が戦いで使われるようになっていく。
4. キリスト教の伝来
1549年、カトリックの修道会(イエズス会)の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に来て、キリスト教を伝えました。ザビエルは山口や豊後(いまの大分県)などでも布教し、そのあとも多くの宣教師が来日して、教会や学校を建てました。
九州の大友氏や大村氏などが、キリシタン大名として知られています。信者の数は、多いときには数十万人にのぼったともいわれます。
5. 南蛮貿易
ポルトガル人やスペイン人は「南蛮人」とよばれ、彼らとの貿易を南蛮貿易といいます。平戸や長崎(いまの長崎県)などの港に、ポルトガル船が来航しました。
| 向き | おもな品物 |
|---|---|
| 日本へ | 中国産の生糸や絹織物、鉄砲、火薬の原料、ヨーロッパの品物など |
| 日本から | 銀が中心。石見銀山などで増えた日本の銀が、大量に運ばれた |
ポルトガル商人は、中国と日本のあいだの貿易を仲立ちすることで、大きな利益を得ていました。宣教師の活動と貿易は結びついており、大名が宣教師を迎えることは、港に貿易船を呼ぶことにもつながりました。1分でわかる城と城下町・戦国の経済石見銀山と、戦国の経済
6. まちがえやすいところ
- 鉄砲が伝わった瞬間に、戦い方がすべて変わったのではない。国内での生産と普及には時間がかかった。
- 鉄砲を伝えたのはポルトガル人。キリスト教を伝えたのはザビエル。1543年ごろと1549年で、年もちがう。
- キリシタン大名は、貿易だけが目的だったとは言い切れない。信仰や地域の事情など、さまざまな背景があった。
- 「南蛮人」は、ポルトガル人やスペイン人のこと。南から来たヨーロッパの人びとをこうよんだ。
7. 1分で深掘り
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