城と城下町・戦国の経済

1分でわかる

城と城下町・戦国の経済

15世紀後半〜16世紀
なぜ戦国時代に、城と町が結びついていったのか。戦いの多い時代に、商業や鉱山はどう発展したのか。
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1分でわかる歴史戦国時代

城と城下町・戦国の経済 まとめ

1. ひとことで言うと

戦国大名は、城のまわりに家臣や商人・職人を集め、
領国の政治と経済の中心となる町をつくっていった

戦国時代には、各地にたくさんの城が築かれました。大名は、城のふもとに家臣を住まわせ、商人や職人を呼び寄せて市を開き、城下町を育てていきます。戦いの多い時代でしたが、港町や寺を中心とした町も栄え、鉱山の開発や商業の広がりによって、お金や物の動きはむしろ活発になりました。

2. 戦国の城は、どんな姿だった?

「城」と聞くと、石垣の上に高い天守がそびえる姿を思い浮かべるかもしれません。しかし、そうした城が各地に広がるのは、戦国時代の終わりから江戸時代のはじめにかけてのことです。

城ようす
山城山の地形を生かし、土を削ったり盛ったりして、堀や土塁、平らな区画(曲輪)をつくった城。戦国時代の城の多くはこの形で、石垣や天守のないものがほとんどだった
平山城平野の中の小高い丘に築いた城。ふもとの町と結びつきやすかった
平城平地に築いた城。水路や交通の便がよく、町づくりに向いていた

戦いのための城から、政治と経済の中心としての城へ。時代が進むにつれて、城は山の上から平地へ近づいていきました。城の姿は、時期や地域によって大きくちがいます。

3. なぜ、城下町ができたのか

家臣を集める家臣を自分の領地に住まわせたままでは、すぐに兵を集められず、大名の目も届きにくくなります。家臣を城の近くに住まわせることで、大名は家臣をまとめやすくなりました。
商人と職人を集める武器や日用品をつくり、運び、売る人びとが必要でした。大名は市を開き、商人や職人を呼び寄せて、城下の商業を盛んにしようとしました。
へえ発掘された戦国の町・一乗谷越前(いまの福井県)の朝倉氏の城下町だった一乗谷では、武家屋敷や町家、道の跡が発掘され、戦国時代の城下町のようすがよく分かっています。1分でわかる分国法と領国支配家臣を城下に住まわせる考え方

4. 城下町だけではない、さまざまな町

町ようす
港町堺(いまの大阪府)や博多(いまの福岡県)は、海外や国内との貿易で栄え、豊かな商人たちが話し合いで町を運営した
寺内町浄土真宗の寺を中心に、堀や土塁で囲んでつくられた町。大坂(石山)などが知られる
門前町大きな寺や神社の前に、参拝する人を相手に栄えた町
1分でわかる室町の村と町・一揆室町時代から続く、町と商業の発展

5. 戦国の経済:戦いの中でも動いていた

鉱山の開発石見銀山(いまの島根県)では、16世紀に新しい精錬の技術が取り入れられ、銀の生産が大きく増えました。日本の銀は海外との貿易でも重要な品になっていきます。甲斐などでは金山の開発も進みました。1分でわかる鉄砲・キリスト教・南蛮貿易日本の銀と、海外との交流
お金の流れ中国から入った銅銭が広く使われていましたが、質の悪い銭も出回り、どの銭をいくらとして受け取るかが問題になりました。大名や幕府は、銭の扱い方の決まりを出して、取引を安定させようとしました。
市を開く大名大名の中には、市での商売を自由にし、特定の商人の特権を抑えて、商人を城下に集めようとする者も現れました。近江の六角氏の城下の市は、その早い例として知られています。こうした政策は、のちの織田信長の楽市・楽座へとつながっていきます。

6. まちがえやすいところ

  • 戦国時代の城の多くは、石垣や天守のない山城だった。高い天守のある城が広がるのは、戦国時代の終わりごろから。
  • 戦国時代は、社会が止まっていた時代ではない。町や市、鉱山、貿易が大きく発展した。
  • 町は、城下町だけではない。港町、寺内町、門前町も栄えた。
  • 楽市・楽座は、信長が最初に始めたのではない。それより前から、市を開く大名がいた。

7. 1分で深掘り

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関連テーマ:山城/一乗谷朝倉氏遺跡/堺/寺内町/石見銀山

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