北山文化と東山文化

1分でわかる

北山文化と東山文化

14世紀末〜15世紀末
能、水墨画、茶の湯、書院造、枯山水。今の日本文化につながるものの多くが、室町時代に形になりました。
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1分でわかる歴史室町時代

北山文化と東山文化 まとめ

1. ひとことで言うと

武士の文化、貴族の文化、禅宗の文化が京都で混ざり合い、
今の和室や茶の湯につながる新しい文化が生まれた

室町幕府が京都に置かれたことで、武士と貴族が同じ町で暮らし、交わるようになりました。そこに、中国から伝わった禅宗の考え方や文化が加わります。こうして、はなやかさと、静かで落ち着いた美しさをあわせもつ文化が育ちました。3代将軍の足利義満のころを北山文化、8代将軍の足利義政のころを東山文化とよびます。

2. 北山文化と東山文化をくらべる

文化中心となった人・ころ特色と代表的なもの
北山文化足利義満/14世紀末〜15世紀はじめ公家と武家の文化が合わさり、禅宗の影響も強い。はなやかさが目立つ。金閣、能
東山文化足利義政/15世紀後半禅宗の影響がさらに深まり、簡素で落ち着いた美しさが重んじられた。銀閣、書院造、水墨画、枯山水、茶の湯

二つの文化ははっきり分かれているのではなく、北山文化の上に東山文化が育った、つながりのある流れです。

3. 混ざり合った三つの文化

武家の文化将軍や守護大名は、力を示すとともに、教養を身につけることを重んじ、芸能や美術を保護しました。
公家の文化和歌や古典、儀式など、平安時代から受けつがれてきた貴族の文化も、武士たちに学ばれました。
禅宗の文化鎌倉時代に広まった禅宗は、幕府に保護されました。中国で学んだ禅僧たちは、学問や外交でも活躍し、水墨画や庭園など、中国の文化を日本にもたらしました。1分でわかる鎌倉の新しい仏教と文化栄西・道元が伝えた禅

4. この時代に形になったもの

ものようす
能観阿弥・世阿弥の親子が、義満の保護を受けて大成した。世阿弥は、能の心得を『風姿花伝』に書き残した。能の合間には、こっけいな狂言も演じられた
水墨画墨の濃さで自然を描く絵。雪舟は明に渡って学び、日本の風景を描く独自の水墨画を生み出した
書院造畳を敷きつめ、床の間や違い棚、障子やふすまを備えた部屋のつくり。銀閣と同じ敷地にある東求堂に、その様子が残る。今の和室のもとになった
枯山水水を使わず、石や砂で山や川を表す庭。龍安寺の石庭などが知られる
茶の湯質素で静かな雰囲気を大切にする茶(わび茶)が始まり、のちの時代に大成される

5. 金閣と銀閣

金閣(北山)義満が京都の北山に建てた山荘の中の建物で、金箔がはられています。1950年に焼けてしまい、今の建物はそのあと再建されたものです。
銀閣(東山)義政が京都の東山に建てた山荘の中の建物です。「銀閣」とよばれますが、銀ははられていません。

6. 文化は、都の外や人びとへも

応仁の乱で京都が荒れると、公家や僧たちの中には、地方の守護大名を頼って移り住む人もいました。こうして、京都の文化は各地へ広がっていきます。また、連歌や、『一寸法師』などの短い物語(御伽草子)、盆踊りなど、多くの人が楽しむ文化も広がりました。1分でわかる応仁の乱から戦国時代へ京都の戦乱と、地方への広がり

7. まちがえやすいところ

  • 金閣は義満、銀閣は義政。北山文化=義満、東山文化=義政。
  • 銀閣に、銀ははられていない。
  • 書院造は、今の和室のもとになったつくり。寝殿造(平安時代の貴族の屋敷)とはちがう。
  • 北山文化と東山文化は、別々の文化ではない。つながりのある流れとして育った。

8. 1分で深掘り

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関連テーマ:金閣/銀閣/東求堂/世阿弥/雪舟/龍安寺

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