太平洋戦争

1分でわかる

太平洋戦争

1941年〜1945年
広い範囲をすばやく占領した日本が、なぜ1年ほどで守勢に回ったのか。戦いの勝ち負けではなく、続ける力から見ていきます。
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1分でわかる歴史昭和・戦前戦中

太平洋戦争 まとめ

1. ひとことで言うと

日本は資源地帯を押さえるため、同時に複数の地域へ攻撃を始めた。
半年で広い範囲を占領したが、船と生産力が続かず、守れない戦線を抱えて後退していった

1941年12月8日、日本はイギリス・アメリカに宣戦を布告しました。この日、ハワイの真珠湾への攻撃だけでなく、マレー半島への上陸など、東南アジアでも軍事行動が始まっています。半年ほどで東南アジアと太平洋の広い範囲を占領しましたが、1942年6月のミッドウェー海戦で主力の空母を失い、ガダルカナル島をめぐる戦いで消耗しました。以後は制海権と制空権を失い、補給が届かなくなっていきます。

2. 名称について

当時の日本政府は、この戦争を大東亜戦争とよびました。現在は、アメリカ・イギリスなどとの戦争を指して太平洋戦争とよぶのが一般的で、1937年からの日中戦争を含めてアジア・太平洋戦争とよぶこともあります。呼び方は、どの範囲を一つの戦争と見るかによって変わります。このページでは太平洋戦争を使いますが、日中戦争が続いている中での戦争だった点を押さえておきます。

3. 開戦は、真珠湾だけではない

1941年12月8日、日本軍は次の地域でほぼ同時に軍事行動を始めました。

場所できごと
ハワイ・真珠湾海軍の航空機がアメリカ太平洋艦隊を攻撃した
マレー半島陸軍が上陸し、イギリス領へ進撃を開始した
香港・フィリピン・グアムなどイギリス領・アメリカ領への攻撃が始まった

目的は、東南アジアの資源地帯、とくにオランダ領東インド(今のインドネシア)の石油を確保することにありました。真珠湾攻撃は、その作戦の間にアメリカ艦隊が動けないようにするためのものです。つまり「真珠湾から始まった戦争」ではなく、資源地帯を押さえる作戦の一部として真珠湾があった、という関係になります。

1942年前半までに、日本はシンガポール、フィリピン、オランダ領東インド、ビルマなどを占領しました。

4. なぜ守勢に回ったのか

  1. 戦線が広がりすぎた占領した範囲は広大で、守るために兵力と物資を分散させることになった。
  2. 船が足りなくなった資源を運ぶのも、兵を送るのも船。潜水艦や航空機による攻撃で商船を失い、運べる量が減っていった。
  3. 生産力の差アメリカは艦船も航空機も大量に生産し、失っても補充できた。日本は補充が追いつかなかった。
  4. 熟練した人員の消耗航空機の搭乗員など、育てるのに時間がかかる人員を失うと、質を保てなくなった。
  5. 制海権・制空権の喪失海と空を押さえられると、補給路が断たれ、前線の部隊は孤立した。
「負けた戦い」の数の問題ではないミッドウェー海戦(1942年6月)やガダルカナル島の戦い(1942年〜1943年)は転換点とされます。しかし重要なのは、個々の勝ち負けよりも、失ったものを補えるかどうかでした。日本は失った空母や搭乗員、船を取りもどせず、アメリカは短期間で補充できた。この差が、その後の展開を決めていきます。

5. 戦線の後退と本土への接近

時期できごと
1942年6月ミッドウェー海戦で主力の空母を失う
1943年2月ガダルカナル島から撤退する
1943年10月学生の徴兵猶予が停止され、学徒出陣が始まる
1944年7月サイパン島が陥落。日本本土が長距離爆撃機の行動範囲に入る
1944年10月フィリピンでの戦いが始まる。日本の艦隊は大きな損害を受ける
1945年3月東京大空襲。各都市への空襲が本格化する
1945年4月米軍が沖縄本島に上陸する

サイパンの陥落は大きな意味をもちました。ここを基地として、日本本土のほぼ全域が空襲の対象になったからです。戦場は、前線の島々から、日本に住む人びとの生活の場へ移っていきます。1分でわかる空襲・沖縄戦・原子爆弾戦場が本土に及ぶ

6. 占領した地域で何をしたか

日本は、占領した東南アジアの地域に軍政を敷きました。欧米の植民地支配からの解放を掲げ、大東亜共栄圏という構想を示します。実際に、現地で独立を目指す人びとと協力した場面もありました。

同時に、戦争を続けるための資源と食料、労働力が現地から集められ、日本語教育や神社への参拝が求められることもありました。抵抗した人びとへの弾圧も起きています。「アジア解放のための戦争だった」とも「資源の略奪だけが目的だった」とも、一文で決めることはできません。掲げられた理念と、実際に行われた軍政とを分けて見る必要があります。1分でわかる植民地・占領地と戦争動員占領地の人びとに何が起きたか

7. まちがえやすいところ

  • 真珠湾攻撃だけで戦争が始まったのではない。同じ日にマレー半島などでも軍事行動が始まっていた。
  • 戦争の行方は、個々の海戦の勝敗だけで決まったのではない。補充できる生産力と輸送力の差が大きかった。
  • 日中戦争が終わってから始まった戦争ではない。中国での戦争は続いたままだった。
  • 占領地の統治を、理念だけでも略奪だけでも説明できない。掲げたことと、行ったことを分けて見る。

8. 1分で深掘り

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関連テーマ:真珠湾/マレー半島/シンガポール/オランダ領東インド/ミッドウェー海戦/ガダルカナル/補給/船舶/サイパン/大東亜共栄圏

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