戊辰戦争
戊辰戦争 まとめ
1. ひとことで言うと
京都で始まり、江戸、東北を経て、1869年に箱館で終わった
1868年1月、京都の南の鳥羽・伏見で、新政府軍と旧幕府軍が衝突しました。新政府軍は勝利して東へ進み、4月には江戸城が明け渡されます。その後も、東北や北陸の諸藩が同盟を結んで新政府軍と戦い、会津藩の降伏を経て、翌1869年5月、箱館(今の函館)の五稜郭で旧幕府軍が降伏して戦争は終わりました。この年の干支が戊辰であったことから、戊辰戦争とよばれます。
2. なぜ戦争になったのか
王政復古のあと、新政府は徳川慶喜に官職の辞退と領地の返上を求めました。旧幕府側の人びとは、これを強く不満としました。1868年1月、旧幕府軍は大坂から京都へ向かって兵を進め、鳥羽と伏見で薩摩・長州などの兵と衝突します。
3. 戦いの広がり
- 京都(1868年1月):鳥羽・伏見の戦い数では上回っていた旧幕府軍が敗れる。慶喜は大坂城を出て、軍艦で江戸へもどる。
- 江戸(1868年3〜5月):江戸城の明け渡し新政府軍は江戸城の総攻撃を計画するが、勝海舟と西郷隆盛の話し合いで中止され、4月に江戸城は戦わずに明け渡される。5月には、上野にこもった旧幕府側の彰義隊が新政府軍に敗れる。
- 東北・北陸(1868年5〜9月):奥羽越列藩同盟東北や北越の諸藩が同盟を結び、新政府軍と戦う。長岡や会津などで激しい戦いが続き、9月に会津藩が降伏する。
- 箱館(1868年10月〜1869年5月):五稜郭の戦い榎本武揚らが旧幕府の軍艦を率いて蝦夷地に渡り、箱館の五稜郭を拠点に抵抗する。1869年5月に降伏し、戦争が終わる。
4. 江戸城の明け渡し
鳥羽・伏見の戦いのあと、慶喜は江戸で新政府に従う姿勢を示し、寺にこもって謹慎しました。徳川家の天璋院(13代将軍家定の妻)や静寛院宮(和宮)も、徳川家の存続を新政府側に働きかけます。1868年3月、旧幕府の勝海舟と新政府軍の西郷隆盛が会談し、江戸城の総攻撃は取りやめになりました。4月、江戸城は戦いなしに新政府に明け渡され、人口の多い江戸の町は大きな戦火をまぬがれました。
5. 東北・北陸の戦い
新政府は、京都で長州と戦った会津藩などを厳しく処分しようとしました。東北の諸藩は、会津藩への寛大な処置を求めましたが受け入れられず、北陸の藩も加わって奥羽越列藩同盟を結び、新政府軍と戦うことになります。
6. 戦争の中で、新しい政府が動き始めていた
戦争が続いている1868年のうちに、新政府は五箇条の御誓文を出し、江戸を東京と改め、元号を明治に改めました。戊辰戦争は、新しい政府の仕組みづくりと同時に進んでいたのです。1分でわかる幕末から明治へ新しい国づくりの入口
7. まちがえやすいところ
- 戊辰戦争は、鳥羽・伏見の戦いだけではない。京都から江戸、東北、箱館まで、約1年半続いた。
- 江戸城の明け渡しで、戦争が終わったのではない。その後も東北や箱館で戦いが続いた。
- 旧幕府側は、ただ抵抗した悪役ではない。それぞれの立場から、新政府の正統性や処分の進め方に反対した。
- 戦争のあいだにも、明治の新政府は動いていた。幕末と明治は重なっている。
8. 1分で深掘り
次に読む
1分でわかる幕末から明治へ幕府がなくなったあと、何を変えなければならなかったのか 1分でわかる大政奉還と王政復古戦争の前に起きていたこと ← 幕末にもどる関連テーマ:鳥羽・伏見の戦い/錦の御旗/勝海舟/西郷隆盛/彰義隊/奥羽越列藩同盟/会津戦争/榎本武揚/五稜郭
コメント