幕末

1分でわかる

幕末

1853年ごろ〜1869年ごろ(江戸時代の終わりの時期)
約260年続いた徳川幕府は、なぜ開国から十数年ほどで政治の中心ではなくなり、新しい政府へ移っていったのか。その流れを一枚で見ていきます。
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1分でわかる歴史幕末

幕末 まとめ

1. ひとことで言うと

外国との関係をどうするかという問題が、幕府・朝廷・大名の関係を大きく変えた。
その結果、政治の中心は、十数年ほどで徳川幕府から新しい政府へ移っていった

1853年、アメリカのペリーが来航し、幕府は開国を決めました。さらに1858年、天皇の許しを得ないまま通商条約を結んだことで、幕府は強い批判を受けます。それまで政治の表に出ることの少なかった朝廷や、薩摩・長州などの大名が発言力を強め、京都が政治の舞台になりました。幕府も立て直しを試みましたが、1867年に政権を朝廷に返し、同じ年のうちに新政府の成立が宣言されます。その後の戊辰戦争を経て、新しい政府が全国を治めるようになりました。

2. このページが扱う範囲

幕末とは、「江戸幕府の末期」という意味です。歴史のうえでは江戸時代の一部で、1868年にはすでに明治の新政府が動き始めています。

このサイトでの分け方1分でわかる歴史では、1853年のペリー来航ごろから、1868〜1869年の新政府の成立と戊辰戦争の終わりごろまでを「幕末」として整理します。幕府の仕組みが崩れていく過程を幕末のページで、新しい政府がどんな国をつくったかを明治のページで扱います。ある一日を境に、時代が完全に切り替わったわけではありません。

この時代の日付は、当時使われていた暦(旧暦)で書いています。

3. 大きな流れ

  1. 開国(1853〜1854年)ペリーが来航し、幕府は大名たちにも意見を聞いたうえで、日米和親条約を結ぶ。
  2. 条約と朝廷(1858〜1860年)天皇の許しがないまま通商条約を結び、将軍のあとつぎ問題も重なって政治が対立する。安政の大獄、桜田門外の変が起こる。
  3. 京都の政治(1860年代前半)幕府と朝廷の協力(公武合体)や、外国を退けようとする攘夷の動きの中で、朝廷のある京都が政治の中心になる。
  4. 薩摩・長州の変化(1863〜1866年)外国との戦いや京都での対立を経て、薩摩と長州の方針が変わり、両藩が近づく。
  5. 政権の移り変わり(1867年)徳川慶喜が政権を朝廷に返す(大政奉還)。その後、王政復古の大号令で新政府の成立が宣言される。
  6. 戊辰戦争(1868〜1869年)新政府と旧幕府側の戦いが京都から江戸、東北、箱館へと続き、新政府が全国を治めるようになる。

これは、あとから見た大きな流れです。当時の人びとにとって、結末は決まっていませんでした。幕府が立て直す道も、大名たちが話し合って国を動かす道も、実際に考えられていました。

4. なぜ幕府は政治の中心でなくなったのか

理由はひとつではありません。いくつもの変化が重なりました。

外国との関係開国と貿易の始まりは、外交をどう進めるかという大問題を生みました。貿易によって物価が上がり、人びとの暮らしにも影響が出ました。
朝廷の重み条約の許しをめぐって、天皇と朝廷の意向が政治を大きく左右するようになりました。幕府は、朝廷との関係をどう保つかに苦しみます。
大名たちの発言力ペリー来航のとき、幕府がそれまで政治に関わらなかった大名にも意見を求めたことをきっかけに、有力な大名が国の政治に意見を出すようになりました。
幕府の内部の対立将軍のあとつぎや外交方針をめぐって、幕府の中でも意見が分かれました。

5. 8つのテーマで見る

1分でわかるペリー来航と開国なぜ幕府は外交の仕組みを変えたのか 1分でわかる日米修好通商条約と安政の大獄開国は、なぜ政治の大問題になったのか 1分でわかる尊王攘夷と公武合体開国後の日本をどう立て直そうとしたのか 1分でわかる薩摩と長州なぜ幕府に対抗する側へ近づいたのか 1分でわかる薩長同盟と幕府の弱体化1866年前後に何が変わったのか 1分でわかる大政奉還と王政復古二つは何がちがうのか 1分でわかる戊辰戦争なぜ政権の移り変わりが戦争になったのか 1分でわかる幕末から明治へ幕府がなくなったあと、何を変えなければならなかったのか

6. 「古い幕府」と「新しい薩長」ではない

幕府も、西洋式の軍隊や造船所をつくり、洋学の教育機関を整えるなど、近代化を進めていました。薩摩や長州も、はじめは攘夷や幕府との協力を考えていました。どの勢力も、外国の圧力が強まる中で、日本をどう守り、どう立て直すかを考えて行動していたのです。一方を正義、一方を悪として見ると、この時代の動きは見えにくくなります。

7. まちがえやすいところ

  • ペリーが来て、幕府がすぐに降伏したのではない。大名たちにも意見を聞き、交渉を重ねて条約を結んだ。
  • 薩摩や長州は、最初から幕府を倒そうとしていたのではない。方針は時期によって大きく変わった。
  • 大政奉還で、すべてが終わったのではない。その後も徳川慶喜は大きな力をもち、王政復古、戊辰戦争へと続いた。
  • 1868年に、時代が一日で切り替わったのではない。幕末の終わりと明治の始まりは重なっている。

8. 年表で見る

年できごと
1853年ペリーが浦賀に来航する
1854年日米和親条約を結ぶ
1858年日米修好通商条約を結ぶ。安政の大獄が始まる
1860年桜田門外の変で、大老の井伊直弼が殺される
1863年長州藩が外国船を砲撃する。薩英戦争。八月十八日の政変
1864年禁門の変。第一次長州征討。四国艦隊が下関を攻撃する
1866年薩長同盟。第二次長州征討
1867年大政奉還(10月)。王政復古の大号令(12月)
1868年鳥羽・伏見の戦い。江戸城の明け渡し。明治に改元する
1869年箱館の戦いが終わり、戊辰戦争が終わる

9. 次の時代へ:明治

新しい政府は、1868年に五箇条の御誓文を出し、江戸を東京と改め、元号を明治に改めました。しかし、全国にはまだ藩があり、身分の仕組みや外国との条約など、変えなければならないことが数多く残っていました。新しい政府がどのような国をつくったかは、明治のページで整理します。

10. つながる時代

ひとつ前の時代:1分でわかる江戸時代幕府と藩が治めた約250年 1分でわかる江戸社会の変化ペリー来航の前に起きていたこと

関連テーマ:ペリー/井伊直弼/孝明天皇/徳川慶喜/島津久光/木戸孝允/岩倉具視

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