バブル崩壊と「失われた時代」

1分でわかる

バブル崩壊と「失われた時代」

1990年〜2000年代
昭和の末に膨らんだ資産価格は、なぜ急に下がったのか。そのあとの長い調整期を、どう理解すればよいのかを見ていきます。
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バブル崩壊と「失われた時代」 まとめ

1. ひとことで言うと

上がり続けると思われていた土地と株の値段が、下がり始めた。
値上がりを前提に貸し借りされていたお金が返せなくなり、その後始末に長い時間がかかった

1980年代の終わり、日本では地価と株価が実体からはなれて上がっていました。1989年から金融の引きしめが始まり、1990年3月には不動産向け融資を抑える規制が出されます。上昇が止まると、値上がりを当てこんだ取引は成り立たなくなりました。担保にしていた土地の値段が下がり、貸したお金が返ってこない「不良債権」が金融機関に積み上がります。この処理に1990年代の大半が費やされました。

2. 何が起きたのか

  1. 金融の引きしめ(1989年〜1990年)日本銀行は1989年5月31日に公定歩合を2.50%から3.25%へ引き上げ、同年10月11日に3.75%、12月25日に4.25%、1990年3月20日に5.25%、8月30日に6.00%まで段階的に引き上げた。
  2. 土地関連融資の総量規制(1990年3月27日)大蔵省が、地価高騰への対策として不動産向け融資を抑える通達を出した。貸出額そのものを抑える規制は17年ぶりだった。
  3. 資産価格の下落株価と地価が下がり始め、値上がりを前提にした取引が成り立たなくなった。
  4. 担保割れと不良債権土地を担保に貸していた資金が回収できなくなる。1990年9月末の時点で、ノンバンク200社の貸付残高56兆7703億円のうち40.2%が建設業・不動産業向けだった。
  5. 金融緩和への転換(1991年7月〜)日本銀行は1991年7月に公定歩合を6.0%から5.5%へ引き下げ、同年11月・12月と引き下げを続けたが、資産価格の下落と不良債権の増加は止まらなかった。

3. 原因は一つではない

「日銀が金利を上げたから」だけではない引きしめが転換点になったことは確かですが、それだけで説明すると、なぜそこまで価格が膨らんだのかが抜け落ちます。次の要素が重なっていました。
  • 低金利が長く続いた円高への対応として金利が低く保たれ、行き場を求めた資金が土地と株に向かった。
  • 金融機関の融資競争規制がゆるみ、銀行やノンバンクが土地を担保に融資を伸ばした。
  • 土地は下がらないという見方これまで上がってきたのだから今後も上がる、という前提が広く共有されていた。
  • 企業の資金運用本業以外に株式や不動産で利益を得ようとする動きが広がった。
  • 物価が落ち着いていた消費者物価が安定していたため、引きしめの判断が遅れた。
  • 引きしめと規制が短期間に重なった金利の引き上げと融資規制が続けて行われ、転換が急になった。

どれか一つが「犯人」なのではなく、上がる仕組みと下がるきっかけの両方があった、と整理してください。

4. 「失われた10年」という言い方

これは歴史用語ではなく、あとからの評論的な表現1990年代を振り返って使われ始めた言い方で、のちに「20年」「30年」と延ばして使われることもあります。当時の政府が名づけた区分ではありませんし、区切りも人によって違います。

大事なのは、「日本全体が何も動かなかった」という意味ではない、ということです。項目ごとに分けると動きは違います。

項目この時期の動き
経済成長高度成長期や1980年代に比べて成長率は大きく下がり、伸び悩む年が続いた
物価上がらない、あるいは下がる状態が長く続いた。企業は値上げをしにくくなった
賃金平均でみた賃金は伸び悩んだ。働き方の違いによる差も広がった
雇用失業率が上がり、新しく採用される人数が減った。雇用の形も変わった
技術通信や電子部品などでは開発が進み、暮らしの道具は大きく変わった
産業重厚長大な産業の比重が下がり、サービス業や情報関連の比重が上がった

つまり、「止まっていた」のではなく、「伸びる部分と縮む部分が入れかわった」時期です。

5. 不良債権はなぜ長引いたのか

問題の中心は、貸したお金が返ってこない状態が、金融機関の体力をじわじわ削ったことです。担保の土地を売ろうにも、値段が下がり続けるうえに買い手がいません。

住宅ローンを専門に扱っていた会社(住専)では、1995年6月末の時点で不良債権が全体で8兆4000億円にのぼり、そのうち回収不能とされたものが6兆3000億円に達しました。この処理に税金を使うかどうかが、大きな政治問題になります。

問題が見えにくかった不良債権は、帳簿の上ですぐには表に出ません。地価がいずれ戻るという見方もあり、処理は先送りされがちでした。損失の大きさがはっきりしたのは、金融機関の破綻が相次いでからです。1分でわかる金融危機・デフレと働き方の変化1997年に何が起きたのか

6. 暮らしへの影響

  • 就職企業が採用を減らし、卒業しても希望する仕事に就けない人が増えた。
  • 住宅高い時期に買った住宅の価値が下がり、残った借金だけが重くなる例が出た。
  • 消費将来への不安から、貯蓄を優先し支出を抑える動きが広がった。
  • 企業新しい設備への投資が減り、人件費を抑える方向が強まった。

資産価格の問題が、そのまま働く場と暮らしの問題になっていったのが、この時期の特徴です。

7. まちがえやすいところ

  • バブルは平成に入ってから膨らんだのではない。昭和の末から進行しており、崩れたのが平成の初めである。
  • ある日いっせいに崩れたのではない。株価と地価では下がり始める時期が違い、数年かけて進んだ。
  • 原因は一つではない。低金利、融資競争、地価への見方、引きしめ、規制が重なった。
  • 「失われた」は何も起きなかった意味ではない。成長率は低かったが、技術や産業の中身は変わっていった。

8. 1分で深掘り

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1分でわかる金融危機・デフレと働き方の変化不良債権のその後 1分でわかる円高とバブル、昭和の終わりなぜ膨らんだのか ← 平成・令和にもどる

関連テーマ:公定歩合/総量規制/地価/株価/担保/不良債権/ノンバンク/住専/デフレ/産業構造の転換

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