大正時代

1分でわかる

大正時代

1912年〜1926年
わずか14年ほどの間に、政治・経済・社会運動・都市の暮らしが大きく動いた時代。何が広がり、同時に何が抑えられたのかを一枚で見ていきます。
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1分でわかる歴史大正時代

大正時代 まとめ

1. ひとことで言うと

世界大戦と好景気が、日本の経済と社会を大きくゆさぶった。
政治に参加したい、暮らしをよくしたいという声が広がる一方で、それを取りしまる仕組みもつくられた

明治時代につくられた近代国家の中で、工場や都市が育ち、新聞や学校が広がりました。そこへ第一次世界大戦による好景気と物価の上昇が重なり、人びとは米騒動のような形で声を上げます。政党が政治の中心に近づき、労働運動や女性運動も広がりました。そして1925年、納税額に関係なく男性が投票できる選挙法と、政治運動を取りしまる治安維持法が、同じ年に成立します。大正は、参加の広がりと統制の強化が同時に進んだ時代でした。

2. このページが扱う範囲

大正時代は、1912年7月に明治天皇が亡くなって改元されてから、1926年12月に昭和と改元されるまでの、約14年半です。

前後の時代とつながっている改元の日に社会が変わったわけではありません。産業化、都市化、政党政治、植民地支配、労働問題は、どれも明治の後半から続いています。また1926年に昭和になっても、大正に生まれた政治や社会の課題はそのまま続きました。時代の区切りは、整理のための目印です。

3. 14年を、一つの流れで見る

  1. 世界大戦と好景気(1914年〜)ヨーロッパでの戦争で日本の輸出が急増し、大戦景気が起こる。成金が現れる一方、物価も上がる。
  2. 物価上昇と米騒動(1918年)米の値段が急騰し、富山から始まった動きが新聞を通じて全国に広がる。軍隊も出動した。
  3. 政党内閣の登場(1918年)米騒動のあと、衆議院に議席をもつ原敬が首相となり、初の本格的な政党内閣と評された。
  4. 社会運動の広がり(1919年〜)労働組合、農民組合、女性団体がつくられ、普通選挙を求める運動も再び盛り上がる。
  5. 戦後の不況(1920年〜)戦争が終わると輸出が減り、戦後恐慌が起こる。好景気は長く続かなかった。
  6. 国際協調と植民地(1919年〜)パリ講和会議とワシントン会議で列強と協調する一方、朝鮮・台湾の支配と中国での権益は維持された。
  7. 関東大震災(1923年)東京・横浜が壊滅的な被害を受ける。流言による殺傷事件も起きた。
  8. 2つの法律と昭和へ(1924年〜1926年)第二次護憲運動をへて、1925年に男子普通選挙法と治安維持法が成立。1926年、昭和が始まる。

ただし、この流れは「最初から普通選挙へ進むことが決まっていた」という意味ではありません。それぞれの場面で、複数の選択肢と対立がありました。

4. 4つの分野で見る

政治藩閥中心の政治が批判され、政党が内閣をつくるようになりました。1分でわかる原敬と政党政治大正政変から政党内閣へ
経済と暮らし戦争による好景気と、その後の不況。人びとへの影響は立場によってちがいました。1分でわかる大戦景気と米騒動景気がよくなったのに、なぜ騒動が起きたのか
社会運動働き方、女性の権利、農村の暮らしなど、政治参加以外の要求も広がりました。1分でわかる労働運動と女性運動人びとは何を求めたのか
外交と植民地国際協調を進めながら、植民地支配と中国での権益の維持も続きました。1分でわかる大正の対外政策と植民地三・一独立運動と五四運動

5. 9つのテーマ

テーマひとこと
第一次世界大戦日本はなぜ参戦し、東アジアで何をしたのか。→ 第一次世界大戦と日本
大戦景気と米騒動好景気の中で、なぜ全国的な騒動が起きたのか。→ 大戦景気と米騒動
政党政治政党が内閣をつくるようになった経緯。→ 原敬と政党政治
大正デモクラシーこの言葉は具体的に何を指すのか。→ 大正デモクラシー
労働・女性・社会運動働き方と権利を求める動きの広がり。→ 労働運動と女性運動
1925年の2つの法律選挙権の拡大と取りしまりが同じ年に。→ 男子普通選挙法と治安維持法
対外政策と植民地国際協調と植民地支配が同時にあった。→ 大正の対外政策と植民地
関東大震災災害と、その中で起きた流言と暴力。→ 関東大震災
大衆文化都市の生活と、広がった文化の中身。→ 大正の大衆文化と都市生活

6. 「明るい時代」だけでも、「戦争の前段階」だけでもない

大正には、政党内閣、選挙権の拡大、労働組合、女性の運動、新聞や雑誌、都市の文化が、たしかに広がりました。一方で同じ時期に、植民地支配の継続と独立運動への弾圧、社会運動の取りしまり、震災時の流言と殺傷事件、都市と農村の格差、小作争議や労働争議もありました。

この時代を「民主主義が花開いた明るい時代」とだけ見ても、「昭和の戦争へ向かう前段階」とだけ見ても、実際に起きたことの半分が消えてしまいます。広がったものと抑えられたものを、両方そのまま見ることが大切です。

7. まちがえやすいところ

  • 1925年の普通選挙法で、全員が投票できるようになったのではない。選挙権を得たのは満25歳以上の男性で、女性には認められなかった。
  • 「大正デモクラシー」は、一つの組織や運動の名前ではない。政党政治、普選運動、労働運動、女性運動などをまとめて呼ぶ言い方。
  • 大戦景気で、みんなが豊かになったのではない。もうけた人がいる一方、物価上昇に苦しむ人も多かった。
  • 国際協調が進んだことは、植民地支配をやめたことではない。朝鮮・台湾の支配は続いていた。

8. 大正の年表

年できごと
1912年明治天皇が亡くなり、大正と改元。年末から第一次護憲運動が起こる
1913年桂太郎内閣が総辞職する(大正政変)。軍部大臣現役武官制が改められる
1914年第一次世界大戦が始まる。日本はドイツに宣戦布告する
1915年中国に二十一か条の要求を行う
1918年シベリア出兵を宣言。米騒動が全国に広がる。原敬内閣が成立する
1919年朝鮮で三・一独立運動、中国で五四運動が起こる。パリ講和会議とベルサイユ条約
1920年戦後恐慌が起こる。第1回メーデー。第1回国勢調査
1921年原敬が暗殺される。ワシントン会議が始まる
1922年九か国条約と海軍軍縮条約。全国水平社と日本農民組合が結成される
1923年9月1日、関東大震災が起こる
1924年第二次護憲運動。加藤高明を首班とする護憲三派内閣が成立する
1925年治安維持法と男子普通選挙法が成立。ラジオ放送が始まる
1926年大正天皇が亡くなり、昭和と改元される

9. 次の時代へ:昭和

大正が終わっても、課題はそのまま残りました。選挙権を得た男性が初めて投票する普通選挙は1928年、つまり昭和に入ってからです。同じころ、治安維持法は改正されて罰が重くなり、取りしまりの範囲も広がっていきます。戦後の不況は昭和の金融恐慌につながり、中国での権益や植民地支配をめぐる問題も続きました。

ただし、「大正デモクラシーが失敗したから戦争になった」と一本道で考えるのは正確ではありません。昭和に起きたことは、その時々の判断と出来事の積み重ねによるものです。

10. つながる時代

ひとつ前の時代:1分でわかる明治時代近代国家の仕組みがつくられた時代 1分でわかる関東大震災1923年、東京と横浜で何が起きたのか

関連テーマ:大正政変/二十一か条要求/米騒動/原敬/民本主義/普通選挙法/治安維持法/関東大震災/ラジオ

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