鑑真

1分でわかる

鑑真

688年〜763年(来日 753年)
日本に、正式な僧になるための「授戒」を伝えた唐の高僧。6回目の渡航で来日しました。
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1分でわかる歴史奈良時代

鑑真 まとめ

1. ひとことで言うと

日本に、正式な「授戒」を伝えるため、
失敗を重ねながら唐から来た高僧

鑑真(688〜763)は、唐の揚州の高僧です。奈良時代の日本は、僧になるための正式な儀式(授戒)と、そのもとになる戒律を、きちんと整えたいと考えていました。日本の留学僧に来日を頼まれた鑑真は、5回の失敗ののち、6回目の753年に来日。東大寺で授戒を行い、のちに唐招提寺を開きました。

生きた年688年〜763年(76歳)
出身唐の揚州
招いた人日本の留学僧・栄叡と普照(742年)
来日753年(6回目の渡航)
日本で東大寺で授戒(754年)→ 唐招提寺を開く(759年)

2. ここを押さえる

① 唐の、戒律の高僧揚州で、戒律を教え、授ける僧として信頼されていました。
② 日本が必要としていたのは「授戒」僧になるには、戒律を守ると誓う授戒の儀式が必要です。日本では、勝手に僧を名乗る私度僧が多く、正式な授戒の仕組みを整える必要がありました。
③ 招いたのは、日本の留学僧唐にいた栄叡と普照が、742年に鑑真へ来日を頼みました。背景には、正式な授戒をととのえたい日本の朝廷(聖武天皇の時代)がありました。
④ 5回失敗して、6回目で来日暴風や妨害、漂着など、さまざまな原因で5回失敗し、753年に6回目で日本へ着きました。
⑤ 754年、東大寺で授戒大仏殿の前に戒壇(授戒の壇)を設け、聖武上皇・光明皇太后・孝謙天皇らが戒を受けました。この戒壇は、のちに移されて東大寺の戒壇院となり、正式な授戒の場として整えられます。
⑥ 759年、唐招提寺新田部親王の旧宅の地をあたえられ、唐招提寺を開きました。
⑦ 目が見えなくなっても苦難の旅のなかで、視力を失ったとされます。来日したときには、すでに目が見えなかったと伝わります。

3. 流れでわかる

「日本の悩み」→「招請」→「失敗の連続」→「来日」→「授戒」という流れです。なぜ日本が鑑真を必要としたのかが、いちばんのポイントです。

  1. 日本の悩み勝手に僧を名乗る私度僧が多く、正式な授戒の仕組みが整っていない。唐から、戒律を伝える師を招きたい。
  2. 742年 招請日本の留学僧・栄叡と普照が、揚州の鑑真に、日本へ来てほしいと頼む。鑑真は承知する。
  3. その後の約12年 5回の失敗暴風、妨害、漂着など、さまざまな原因で、計画はそのたびに失敗した。
  4. 苦難の旅長い旅のなかで視力を失い、同行した栄叡も亡くなった。
  5. 753年 6回目日本へ向かう遣唐使の船に乗り、12月に薩摩に着く。
  6. 754年 平城京へ2月に平城京に入り、4月、東大寺の大仏殿の前に設けた戒壇で授戒を行う。
  7. 755年ごろ〜759年大仏殿前の戒壇が移され、東大寺に戒壇院が整えられる。以後、戒壇院が正式な授戒の場となる。759年、唐招提寺を開く。
  8. 763年唐招提寺で亡くなる。76歳。

4. もう少し知る

「戒律」「授戒」とは?戒律は、僧が守るきまり。授戒は、それを守ると誓って、正式な僧になる儀式です。正式な授戒は、3人の師と7人の証人(あわせて10人の僧)がそろって行うものとされました。
なぜ、日本は鑑真を必要としたの?奈良時代の国は、僧も国のきまり(僧尼令)で管理しようとしていました。正式な授戒を国できちんと行い、僧として認める仕組みを整えるために、戒律を伝える師が必要だったのです。
なぜ、何度も失敗したの?暴風にあったり、周囲に妨げられたり、遠くに流されたりと、原因はさまざまです(各回の事情は、資料によって書き方に差があります)。当時の東シナ海の航海は、それだけ危険でした。
東大寺との関係754年、東大寺の大仏殿の前に戒壇を設けて授戒を行い、聖武上皇・光明皇太后・孝謙天皇らが戒を受けました。この戒壇はのちに移されて戒壇院となり(755年ごろ。資料により表記に差があります)、以後は戒壇院が正式な授戒の場になりました。つまり、754年が最初の授戒で、戒壇院はそのあとに整えられた場です。鑑真は、来日後の約5年を東大寺で過ごしました。東大寺は奈良の大仏で知られる寺です。
唐招提寺との関係759年、新田部親王の旧宅の地に開かれた寺です。鑑真の晩年の寺で、鑑真は763年にここで亡くなりました。講堂は、平城宮の建物を移して使ったものとされます。
日本に伝えたもの鑑真は、戒律のほか、彫刻や薬草の知識も伝えたともいわれます。

5. まちがえやすいところ

  • 「何度失敗したか」の物語だけではない。大事なのは、日本が正式な授戒を必要としていたこと。
  • 5回失敗し、6回目で成功。「6回失敗」ではない。
  • 鑑真が、日本に仏教を初めて伝えたのではない。仏教はもっと前(6世紀)に伝わっていた。鑑真が伝えたのは、戒律と授戒の仕組み。
  • 東大寺と唐招提寺の役割のちがい。東大寺=授戒を行った寺。唐招提寺=鑑真が開いた晩年の寺。

6. ここまで説明できれば、全体像はつかめています

  • 唐の高僧。日本の留学僧・栄叡と普照に招かれた(742年)
  • 日本は、正式な授戒の仕組みを整えたかった
  • 5回失敗し、6回目の753年に来日
  • 754年、東大寺で授戒。759年、唐招提寺を開く

鑑真について、このくらい説明できれば全体像をつかめています。

7. 1分で深掘り

鑑真から授戒を受けた人物と、授戒が行われた寺を、あわせて知りたいときは、こちらへ。

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