聖徳太子と推古朝の国づくり

1分でわかる

聖徳太子と推古朝の国づくり

6世紀末〜7世紀前半(推古天皇の時代)
推古天皇のもとで、厩戸王(聖徳太子)と蘇我馬子が進めた政治。隋に学びながら、新しい国のしくみを取り入れようとした時代です。
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1分でわかる歴史飛鳥時代

聖徳太子と推古朝の国づくり まとめ

1. ひとことで言うと

推古天皇・厩戸王(聖徳太子)・蘇我馬子のもとで、
豪族を役人としてまとめる、新しい国づくりが始まった

聖徳太子は、歴史の中でもとくに有名な人物です。ただ、この時代の政治は、太子ひとりで進めたものではありません。推古天皇のもとで、厩戸王(聖徳太子)と、有力な豪族の蘇我馬子が協力しながら、隋(中国)の制度や仏教を取り入れ、豪族を天皇に仕える役人としてまとめていこうとしました。現在の研究では、よく知られた聖徳太子の姿には、後の時代に作られた人物像も含まれると考えられています。

2. この時代の中心にいた3人

推古天皇592年に飛鳥の豊浦宮で即位しました。最初の女性の天皇とされます。厩戸王から見ると、父の妹(おば)にあたります。
厩戸王(聖徳太子)推古天皇のおいで、593年から政治に加わったと『日本書紀』は記しています。仏教を深く学んだ人物としても伝えられています。
蘇我馬子大臣(おおおみ)として大きな力をもった豪族です。587年に物部守屋を倒し、飛鳥寺を建てるなど、仏教を広めることにも力を入れました。推古天皇の母は、蘇我氏の出身でした。

3. 何をしたのか

しくみねらい・内容
冠位十二階603年冠の色などで、役人の位を12段階に分けた。家がらだけでなく、能力や功績に応じて位をあたえ、昇進もできるようにしたとされる
十七条憲法604年役人の心がまえを示したもの。和を大切にすること、仏教をうやまうこと、天皇の命令に従うことなどが書かれている
遣隋使600年〜中国を統一した隋に使いを送り、制度や文化を学ぼうとした
仏教を広める寺を建て、仏教を国づくりの柱のひとつにしようとした。法隆寺や四天王寺は、厩戸王が建てたと伝えられる

「憲法」といっても、今の日本国憲法のような国のきまりではなく、役人に向けた教えです。仏教や、中国の儒教の考え方が取り入れられています。

4. 遣隋使:隋に何を伝えたのか

607年、小野妹子を隋へ中国の歴史書『隋書』には、倭の国書に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書かれていたこと、隋の皇帝(煬帝)がこれを不快に思ったことが記されています。隋に従う立場ではなく、対等に近い立場を示そうとしたとみる考えがあります。
最初の遣隋使は600年600年の使いは、『日本書紀』には書かれておらず、『隋書』に記録が残っています。この時、倭の政治のしくみが整っていないことを知り、国づくりを急いだとみる考えもあります。
学びに行った人びと608年には、高向玄理や僧の旻、南淵請安らが隋へ渡りました。彼らは中国に長く留まり、隋が滅び唐が建国されたあとに帰国して、のちの大化の改新にも知識を生かしたとされます。

5. 「聖徳太子」という名前と人物像

「聖徳太子」は、亡くなったあとに広まった呼び名とされ、生前は厩戸王(厩戸皇子)などとよばれていたと考えられています。そのため、教科書では「聖徳太子(厩戸王)」のように、2つの名前を並べて書くことがあります。

太子は、のちの時代に仏教の聖人として深く信仰されるようになりました。「一度に10人の話を聞き分けた」といった話は、そうした中で伝えられてきたものです。どこまでが実際の姿なのかについては、今も研究が続いています。

6. そのあと:蘇我氏の時代へ

厩戸王は622年に、蘇我馬子は626年に、推古天皇は628年に亡くなりました。そのあと、馬子の子の蘇我蝦夷、孫の蘇我入鹿が力を強めていきます。643年には、入鹿が厩戸王の子の山背大兄王の一族を滅ぼしたと『日本書紀』は記します。こうした中で、645年の乙巳の変が起こりました。

1分でわかる乙巳の変と大化の改新蘇我氏が倒れたあと、何が変わりはじめたのか

7. まちがえやすいところ

  • 推古朝の政治は、聖徳太子ひとりの仕事ではない。推古天皇と蘇我馬子もかかわり、協力しながら進められた。
  • 十七条憲法は、国民のための法律ではない。役人(豪族)に向けた心がまえ。
  • 冠位十二階で、家がらの力がなくなったわけではない。蘇我氏のような大豪族は、冠位の外にいたとも考えられている。
  • 遣隋使と遣唐使を混同しない。遣隋使は隋へ、遣唐使は唐へ(630年から)。

8. 1分で深掘り

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