男子普通選挙法と治安維持法
男子普通選挙法と治安維持法 まとめ
1. ひとことで言うと
同じ年、国のあり方や私有財産の仕組みを変えようとする団体を取りしまる治安維持法も成立した
1924年の第二次護憲運動で成立した加藤高明内閣は、長く求められてきた普通選挙の実現に踏み切ります。1925年5月5日、衆議院議員選挙法の改正が公布され、選挙権の納税要件がなくなりました。その一方、同年4月21日には治安維持法が公布されています。選挙権が広がることで社会主義の運動も力をもつのではないかという警戒が、この法律の背景にありました。参加の拡大と取りしまりの強化は、同じ時期に並んで進んだのです。
2. 第二次護憲運動(1924年)
1923年末の虎の門事件で山本権兵衛内閣が総辞職すると、1924年1月、枢密院議長だった清浦奎吾に内閣をつくる命が下りました。清浦内閣は貴族院を基盤とし、衆議院の政党をほとんど入れない形でした。
これに対し、憲政会・政友会・革新倶楽部の3党(護憲三派)は、第二次憲政擁護運動を展開して清浦内閣を攻撃します。同年5月の総選挙で護憲三派が圧勝し、6月7日に清浦内閣は総辞職。第一党である憲政会の総裁、加藤高明を首相とする護憲三派内閣が成立しました。
3. 男子普通選挙法(1925年)
加藤内閣のもとで、与党3党による案がまとめられ、衆議院議員選挙法の改正が成立しました。1925年5月5日に公布されています。
| くらべる点 | 1919年の改正後 | 1925年の改正後 |
|---|---|---|
| 納税の条件 | 直接国税3円以上 | 納税の条件をなくした |
| 年齢 | 満25歳以上 | 満25歳以上 |
| 性別 | 男性のみ | 男性のみ(女性に選挙権はない) |
| 有権者 | 納税額による制限があった | 納税による制限がなくなり、有権者は大きく増えた |
この法律にもとづく最初の総選挙が行われたのは1928年、昭和に入ってからでした。
4. 治安維持法(1925年)
1925年4月21日、治安維持法が公布されました。第1条第1項では、国のあり方(国体)を変えることや、私有財産制度を否定することを目的として団体をつくった者、そうと知りながらその団体に加わった者を、10年以下の懲役または禁錮に処すると定めています。
同じ1925年には、ソビエト連邦との国交を開く日ソ基本条約も結ばれています。共産主義の国と正式な関係をもつことへの警戒も、この法律の背景の一つでした。
5. なぜ同じ年に、二つの法律ができたのか
- 選挙権を広げる圧力普選運動が長く続き、第二次護憲運動で政党が勝ったことで、実現は避けられない情勢になっていた。
- 広がることへの警戒政府や既存の勢力には、選挙権が広がれば社会主義の主張をする政党が力をもつのではないかという不安があった。
- 同時に進めるという選択選挙権を広げると同時に、国のあり方や私有財産制度を否定する運動は取りしまる。この組み合わせが選ばれた。
つまり二つの法律は、別々に起きたのではなく、一つの判断の表と裏として結びついていました。
6. どう評価するか
有権者の数は大きく増え、それまで投票できなかった多くの人が政治に参加できるようになりました。労働者や農民の支持を得ようとする政党も生まれます。これは実際に大きな変化でした。
同時に、思想や団体への取りしまりが強められ、その範囲はのちに広がっていきました。女性や植民地の人びとは、選挙権の外に置かれたままです。「民主化が完成した年」とも、「治安維持法があったから選挙権の拡大は無意味だった」とも言えません。何がどこまで変わり、何が変わらなかったのかを、制度の中身で見ることが大切です。
7. まちがえやすいところ
- 普通選挙法で、全員が投票できるようになったのではない。満25歳以上の男性だけで、女性は対象外だった。
- 1925年にすぐ普通選挙が行われたのではない。最初の実施は1928年。
- 治安維持法は、はじめから死刑を定めていたのではない。最高刑が死刑になるのは1928年の改正。
- 二つの法律は、無関係に成立したのではない。選挙権の拡大と取りしまりは、同じ判断の中で結びついていた。
8. 1分で深掘り
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