大戦景気と米騒動
大戦景気と米騒動 まとめ
1. ひとことで言うと
同時に物価も上がり、賃金の伸びが追いつかない人びとの不満が、米騒動となって噴き出した
第一次世界大戦で、ヨーロッパの製品がアジアの市場から減り、日本の輸出が急に増えました。海運や造船、紡績、化学などの会社が大きな利益をあげ、急に金持ちになった人は成金とよばれます。しかし、好景気は物価の上昇も連れてきました。とくに米の値段は、1918年にシベリア出兵を見こした買い占めも重なって急騰します。その年、富山から始まった動きが新聞で報じられ、騒動は全国へ広がりました。
2. 大戦景気は、なぜ起きたのか
この結果、日本は輸入が多い国から、外国にお金を貸す国へと立場を変えました。工場が増え、都市で働く人も増えます。
3. だれがもうけ、だれが苦しんだのか
| 立場 | 大戦景気の影響 |
|---|---|
| 輸出産業の会社 | 注文が急増し、大きな利益をあげた |
| 商人・投機をした人 | 値上がりを見こした取引で、短期間に大きな財産を得た人もいた |
| 工場で働く人 | 仕事は増えたが、賃金の上昇が物価の上昇に追いつかないことが多かった |
| 都市の勤め人 | 決まった給料で暮らすため、物価が上がるほど生活は苦しくなった |
| 米を買う農家・漁村の人 | 米を売るより買う立場の家では、米価の高騰が直接の打撃になった |
好景気という一つの言葉の中で、人びとが受けた影響はまったく違っていました。ここが、米騒動を理解するうえで大切な点です。
4. 米の値段は、なぜ急に上がったのか
第一次世界大戦中は、輸出が増えるにつれて全体の物価が上がり、とくに米の値段が高くなっていました。そこへ1918年、政府がシベリアへの出兵方針を固めます。軍が大量の米を買うだろうと見こした地主や米穀商が、売らずに持っておいたり買い集めたりしたため、米価はさらに急騰しました。
5. 米騒動(1918年)
1918年7月、富山県の漁村で、米を県外へ積み出さないよう求める動きが起こりました。8月には、漁民や主婦などが米の県外への移出をやめることと安売りを求めて行動します。これが米騒動の始まりとされています。
新聞がこれを報じると、騒動は急速に全国へ広がりました。政府は新聞記事の差し止めを命じますが、広がりは止まりません。各地では警察だけでなく軍隊も出動して、鎮圧にあたりました。
騒動の影響は大きく、寺内正毅内閣は9月に退陣しました。かわって、衆議院に議席をもつ原敬が首相となります。1分でわかる原敬と政党政治米騒動のあとに生まれた内閣
6. 好景気は続かなかった:戦後恐慌
1918年に戦争が終わると、ヨーロッパの生産が回復し、日本製品への注文は減っていきました。1920年3月、株価が大きく下がり、商品の値段も急落します。これが戦後恐慌です。銀行に預金者が押しかける取り付け騒ぎも起こり、倒産する会社が相次ぎました。
農村でも、生糸や米の値段が下がって収入が減り、小作料をめぐる争いが増えていきます。景気の急な上下は、労働運動や農民運動が広がる背景にもなりました。1分でわかる労働運動と女性運動不況の中で広がった動き
7. まちがえやすいところ
- 好景気で、みんなの暮らしが豊かになったのではない。物価の上昇に賃金が追いつかない人も多かった。
- 米騒動は、単一の事件ではない。各地で形の異なる動きが同時に起こり、新聞を通じて広がった。
- 米価が上がったのは、不作だけが理由ではない。物価全体の上昇と、出兵を見こした買い占めが重なった。
- 大戦景気は長く続かなかった。1920年には戦後恐慌が起こっている。
8. 1分で深掘り
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