第一次世界大戦と日本
第一次世界大戦と日本 まとめ
1. ひとことで言うと
戦場から遠かったことで輸出が急増し、経済が大きくふくらんだ
1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦が始まりました。日本はイギリスの対ドイツ宣戦に呼応し、日英同盟を理由として同年8月23日にドイツへ宣戦します。日本軍が戦ったのは、中国の山東省にあるドイツの拠点と、太平洋のドイツ領の島々が中心でした。ヨーロッパの主戦場で大規模に戦ったわけではありません。一方、戦争でヨーロッパの製品が減ったため、日本の輸出は急増し、経済は大きく伸びました。
2. 世界大戦のおおまかな構図
19世紀末から、ヨーロッパの国々は同盟関係をつくって対立していました。ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と、イギリス・フランス・ロシアの三国協商です。1914年7月28日、オーストリアがセルビアに宣戦布告したことをきっかけに、この対立が大戦争になりました。
戦いは4年を超えて続き、戦車や飛行機、毒ガスなどの新しい兵器が使われ、国の力をすべて戦争に注ぐ総力戦となりました。ヨーロッパは大きな被害を受けます。日本は、イギリス側(連合国)に立って参戦しました。
3. 日本はなぜ参戦したのか
4. 日本は、どこで戦ったのか
| 場所 | できごと |
|---|---|
| 山東省(中国) | ドイツが権益をもっていた青島などを攻め、1914年11月に占領した |
| 南洋諸島 | 海軍が、赤道以北のドイツ領の島々を占領した |
| 地中海など | 連合国の要請を受け、海軍の艦艇が船を護衛する任務にあたった |
| ヨーロッパの陸戦 | 日本の陸軍が主戦場で大規模に戦うことはなかった |
日本の戦死者は、ヨーロッパの国々と比べてはるかに少なく、国土も戦場になりませんでした。このちがいが、戦争中の経済の動きにも大きく影響します。
5. 二十一か条の要求(1915年)
1915年1月18日、日本は中国政府に対し、懸案の解決と両国関係を緊密にするためとして、21か条にのぼる要求を行いました。内容は第1号から第5号に分かれています。
| 号 | 主な内容 |
|---|---|
| 第1号 | 山東省にあったドイツの権益を、日本が引きつぐことを認めさせる |
| 第2号 | 南満州と東部内モンゴルでの日本の権益の期限を延長する |
| 第3号 | 製鉄・鉱山の会社である漢冶萍公司を、日中の共同経営にする |
| 第4号 | 中国の沿岸部を、ほかの国にゆずらないことを約束させる |
| 第5号 | 政治・財政・軍事の分野で、中国政府が日本人の顧問を雇うことなどを求める |
とくに第5号は、中国の政治そのものに日本が関わることになる内容でした。交渉は難航し、日本は第5号関係の要求の大部分を削除したうえで、5月7日に最後通牒を出します。中国は5月9日にこれを受け入れ、山東省に関する条約と、南満州および東部内モンゴルに関する条約が結ばれました。
6. 戦争が日本経済を変えた
ヨーロッパが戦争に集中したため、アジア市場への輸出が減り、そこへ日本の製品が入りました。連合国からは軍需品の注文も来ます。船が足りなくなり、海運業と造船業は特に大きくもうかりました。この好景気が大戦景気です。
ただし、景気がよくなったことは、すべての人の暮らしが楽になったことを意味しません。物価も上がったからです。1分でわかる大戦景気と米騒動だれがもうけ、だれが苦しんだのか
7. まちがえやすいところ
- 日本がヨーロッパの主戦場で大規模に戦ったのではない。戦ったのは主に中国の山東省と太平洋の島々。
- 二十一か条要求は、すべてが通ったのではない。とくに第5号は、大部分が削除されたうえで最後通牒が出された。
- 「21個の要求」という数だけの話ではない。山東・南満州の権益や、中国政府への関与が中身だった。
- 中国が黙って受け入れたのでもない。強い反発が残り、のちの五四運動につながった。
8. 1分で深掘り
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