戦国から天下統一へ

1分でわかる

戦国から天下統一へ

16世紀半ば〜1570年代(戦国時代 → 安土桃山時代へ)
各地に戦国大名が並び立っていた時代から、なぜ全国をまとめようとする動きが強くなったのか。その入口を見ていきます。
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1分でわかる歴史戦国時代 → 安土桃山時代

戦国から天下統一へ まとめ

1. ひとことで言うと

京都とその周り(畿内)をめぐる争いに、尾張から織田信長が加わった。
各地の争いから、全国をまとめる争いへと、視点が広がっていった

戦国時代の京都では、将軍と有力者たちの争いが続いていました。16世紀半ば、尾張(いまの愛知県西部)の織田信長は、周りの大名との戦いに勝って勢力を広げ、1568年に将軍候補の足利義昭を立てて京都に入ります。ここから、畿内を押さえた勢力が全国の大名を従えていく動きが本格化していきました。

2. 戦国時代の京都:将軍と有力者たち

応仁の乱のあとも、室町幕府の将軍は京都にいました。しかし、将軍の立場は、有力者たちの争いに大きく左右されるようになっていました。1分でわかる応仁の乱から戦国時代へ明応の政変と、将軍の力の変化

三好氏の時代16世紀半ば、阿波(いまの徳島県)から来た三好長慶が、京都とその周りの実権をにぎりました。将軍と対立して京都から追うこともあり、戦国時代の畿内を代表する勢力となりました。
将軍が殺される1565年、13代将軍の足利義輝が、三好氏の一族や家臣たちに攻められて殺されました。それでも将軍という地位の重みは失われず、次の将軍をだれにするかが、大きな争いのもとになっていきます。

3. 織田信長の登場

ここでは、信長が畿内に進むまでの道すじだけを見ます。信長の政治や戦いの詳しいことは、次の安土桃山時代のページで扱います。

年できごと
1560年桶狭間の戦いで、尾張に攻めこんだ駿河の今川義元を破る
1567年美濃(いまの岐阜県)を手に入れ、岐阜を本拠にする
1568年足利義昭を立てて京都に入り、義昭が15代将軍となる
1573年対立した義昭を、京都から追放する
桶狭間の戦いが意味したもの東海で大きな力をもっていた今川氏の当主が倒れたことで、この地域の勢力図は大きく変わりました。今川氏に従っていた三河の松平元康(のちの徳川家康)は独立し、やがて信長と同盟を結びます。東の守りを固めた信長は、美濃、そして京都へと目を向けていきました。

4. なぜ、全国統一への動きが強まったのか

理由はひとつではなく、いくつかの流れが重なっていたと考えられています。

京都と将軍の重み将軍や朝廷のいる京都を押さえることは、ほかの大名に対して自分の立場を示す大きな意味をもちました。当時「天下」という言葉は、主に京都とその周りの政治を指していたとする見方もあります。
大名の領国が大きくなった各地で大名が領国を広げた結果、争いも、国と国とのより大きな規模のものになっていきました。1分でわかる各地の戦国大名各地で競い合った勢力
豊かな畿内京都や堺など、畿内には人口が多く、商業や手工業も盛んでした。この地域を押さえることは、大きな経済力を手に入れることでもありました。

5. 安土桃山時代への入口

1573年、将軍の足利義昭が京都を追われ、室町幕府は事実上終わりました。信長の時代の始まりを、義昭と京都に入った1568年とする見方、義昭を追放した1573年とする見方、安土城を築き始めた1576年とする見方など、区切り方はいくつかあります。

ただし、この年に全国が一斉に変わったのではありません。九州や関東、東北などでは、その後もしばらく戦国大名どうしの争いが続きました。信長、そして豊臣秀吉が全国を統一していく過程は、安土桃山時代として、次のページで整理します。

ここから先は、安土桃山時代です。

6. まちがえやすいところ

  • 1568年や1573年に、全国が一斉に戦国時代を終えたのではない。地方では、そのあとも争いが続いた。
  • 応仁の乱のあとも、将軍は京都にいた。室町幕府は、1573年まで続いた。
  • 信長は、はじめから全国を治める力をもっていたのではない。尾張の一勢力から、周りの大名との戦いを経て畿内に進んだ。
  • 桶狭間の戦いは、信長と今川義元の戦い。この戦いのあと、松平元康(徳川家康)が独立した。

7. 1分で深掘り

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関連テーマ:三好長慶/足利義輝/桶狭間の戦い/足利義昭/清洲同盟

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