戦国大名と下剋上

1分でわかる

戦国大名と下剋上

15世紀後半〜16世紀
戦国大名とは何者で、守護大名と何がちがったのか。「下剋上」は、本当に家来が主人を倒すことだったのか。
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1分でわかる歴史戦国時代

戦国大名と下剋上 まとめ

1. ひとことで言うと

戦国大名は、幕府に任じられた地位よりも、自分の実力で国を治めた大名。
その成り立ちは、家ごとにさまざまだった

応仁の乱のあと、室町幕府の力は弱まり、幕府に任じられた守護という地位だけでは、国を治め続けることが難しくなりました。そこで、実際に家臣や土地をまとめ、自分の力で国を治める大名が各地に現れます。これが戦国大名です。守護大名がそのまま戦国大名になった家もあれば、守護の家来や地元の武士から成長した家もありました。

2. 守護大名と、何がちがう?

くらべる点守護大名戦国大名
地位のよりどころ幕府から守護に任じられること自分の力で、家臣と土地を実際にまとめていること
住む場所京都に住むことが多く、国は守護代に任せた自分の国にいて、直接治める
国の治め方荘園の持ち主や地元の武士の力も強く残る土地を調べ、法を定め、家臣と領国を一つにまとめようとした
1分でわかる室町幕府と守護大名守護は、なぜ強くなったのか

3. 成り立ちは、さまざま

出発点例ようす
守護大名から今川氏・武田氏・大友氏・島津氏など守護の家が、自分の国を直接治めるしくみを整えて、戦国大名へと移っていった
守護代から越後の長尾氏(のちの上杉氏)、越前の朝倉氏など守護にかわって国を預かっていた家が、実権をにぎった
国人から安芸の毛利氏、土佐の長宗我部氏など地元の武士が、周りの武士をまとめて力を広げた
外から伊勢宗瑞(北条早雲)など幕府に仕えていた人物が、地方に移って国を切りひらいた

戦国大名の多くは、何代もかけて少しずつ力を固めていきました。一人の人物が一代で急に成り上がった例は、むしろ少ないのです。

4. 下剋上とは

下剋上は、「下の者が上の者をしのぐ」という意味の言葉です。守護代や家臣が主人の守護に取って代わる、将軍が家臣に替えられる、村や一揆の人びとが領主に逆らう、といった動きが、この時代には各地で見られました。

例:中国地方の大内氏西日本の有力な大名だった大内氏は、1551年、重臣の陶氏に当主を倒されました。その陶氏も、やがて安芸の毛利氏に敗れ、毛利氏が中国地方に勢力を広げていきます。
「主人を倒せば終わり」ではなかった家臣団や地元の武士、領国の人びとの支えがなければ、国を治め続けることはできませんでした。主人を倒した側も、幕府からの役職や家柄を得て、立場を正式なものにしようとしました。家柄や幕府の権威は、この時代にも意味をもち続けていたのです。

5. 伊勢宗瑞(北条早雲)の場合

「北条早雲」の名で知られる伊勢宗瑞は、かつては浪人から一代で成り上がった人物として語られてきました。しかし現在では、室町幕府に仕えた伊勢氏の一族で、将軍の側近を務めていたことが分かっています。宗瑞は駿河の今川氏とのつながりから東国へ移り、伊豆、さらに相模へと勢力を広げました。子の代から「北条」を名のり、小田原を本拠とする北条氏(後北条氏)は、関東の大きな大名に成長していきます。

6. 大名を支えた家臣団

戦国大名の家臣団には、大名の一族、古くから仕える家来、そして新しく従った地元の武士(国衆)などがいました。国衆の中には、自分の領地をかなり自由に治め続ける者も多く、大名はそうした武士たちをまとめる「まとめ役」の面ももっていました。大名が強くなるには、家臣たちを法や土地のしくみで結びつけることが欠かせませんでした。1分でわかる分国法と領国支配戦国大名は、どうやって国を治めたのか

7. まちがえやすいところ

  • 戦国大名は、全員が家来から主人を倒して成り上がったのではない。守護大名から発展した家も多い。
  • 下剋上は、主人殺しだけを指すのではない。下の者が上の者をしのぐ、社会全体の動きを表す言葉。
  • 守護大名と戦国大名は、地位のよりどころがちがう。幕府に任じられた地位か、自分の実力か。
  • 北条早雲(伊勢宗瑞)の北条氏は、鎌倉時代の北条氏とは別の家。

8. 1分で深掘り

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