1分でわかる
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国風文化と平安のくらし
10世紀〜11世紀ごろ
かな文字、『源氏物語』、寝殿造、極楽浄土への祈り。唐から学んだ文化が、日本の暮らしと感覚の中で、新しい形に育っていきました。
1分でわかる歴史平安時代
国風文化と平安のくらし まとめ
1. ひとことで言うと
唐の文化を土台に、日本の暮らしや感覚に合う形へ。
かな文字が、新しい文学を生んだ
かな文字が、新しい文学を生んだ
奈良時代から平安時代のはじめにかけて、日本は唐の文化を熱心に取り入れました。10世紀から11世紀にかけて、それが日本の暮らしや好みに合わせて形を変え、かな文字の文学、大和絵、寝殿造などが生まれます。これを国風文化とよびます。
2. 遣唐使をやめたから、日本の文化が生まれたの?
894年、遣唐使の派遣が取りやめられた遣唐使に任じられた菅原道真は、唐が乱れていることや、航海が危険なことなどをあげて、派遣を見直すよう求めました。実際に唐へ渡った遣唐使は838年の出発が最後で、そのあと再び送られることはありませんでした。唐は907年に滅びます。
交流が止まったわけではない遣唐使がなくなったあとも、中国の商人の船は日本に来て、書物や陶磁器などの品物が入り続けました。貴族は漢詩や漢文を学び続け、朝廷の公式な文書も漢文で書かれました。
国風文化は、894年を境に突然生まれたものではありません。長い時間をかけて学んできた中国の文化が、日本の社会の中で育ち、変化していった結果と考えられています。
3. かな文字の誕生
| 文字 | でき方と使われ方 |
|---|---|
| ひらがな | 漢字をくずして書いた形から生まれた。和歌や手紙、物語などで広く使われた |
| カタカナ | 漢字の一部をとって生まれた。僧が経典を読むとき、読み方の書きこみなどに使った |
かな文字によって、日本語の話し言葉や気持ちを、そのまま書き表しやすくなりました。
4. かなが生んだ文学
| 作品 | 作者・ころ | ひとこと |
|---|---|---|
| 古今和歌集 | 紀貫之ら/905年ごろ | 天皇の命令でつくられた、最初の和歌集(勅撰和歌集) |
| 土佐日記 | 紀貫之/935年ごろ | 男性の貫之が、女性が書いたという形をとって、かなでつづった日記 |
| 枕草子 | 清少納言/1000年ごろ | 宮廷の暮らしや自然を、するどい感覚でつづった随筆 |
| 源氏物語 | 紫式部/11世紀はじめ | 光源氏を中心に、貴族の人間関係や心の動きを描いた長い物語 |
宮廷の女性たちが、文学を育てた清少納言は一条天皇のきさき・定子に、紫式部は同じく一条天皇のきさき・彰子(藤原道長の娘)に仕えました。天皇のきさきのまわりには、教養のある女性たちが集められ、すぐれた作品が生まれました。1分でわかる藤原氏と摂関政治娘を天皇のきさきにする、藤原氏のしくみ
5. 貴族のくらし
| もの | ようす |
|---|---|
| 寝殿造 | 貴族の屋敷。中心の建物と周りの建物を廊下でつなぎ、庭と池をそなえた |
| 装い | 男性の正装は束帯。女性の正装は、何枚も衣を重ねた女房装束(のちに「十二単」とよばれる) |
| 大和絵 | 日本の風景や暮らしを、やわらかな線と色で描いた絵。のちの『源氏物語絵巻』にもつながる |
| 年中行事 | 季節ごとの儀式や行事が、朝廷の暮らしの大切な一部だった |
6. 極楽浄土への祈り
10世紀ごろから、阿弥陀仏を信じて念仏をとなえ、死後に極楽浄土へ生まれ変わることを願う浄土の教えが広まりました。
- 空也10世紀、都の人びとの中で念仏を広め、「市聖(いちのひじり)」とよばれた。
- 源信985年、『往生要集』を書き、極楽へ往生する道を示した。比叡山で学んだ僧だった。
- 末法の不安1052年から、仏の教えが衰える「末法」の世に入ると信じられ、不安が広がった。
- 平等院鳳凰堂1053年、藤原頼通が、極楽浄土のようすを地上にあらわそうとして建てた。
- 地方へ12世紀には、東北の平泉に中尊寺金色堂が建てられるなど、浄土の信仰は地方にも広がった。
7. 都の外の人びと
国風文化の担い手は、都の貴族が中心でした。しかし、平安時代に暮らした人の多くは、都や地方で田畑を耕し、物をつくり、運ぶ人びとでした。地方では、国司や有力者のもとで、土地や暮らしのしくみが大きく変わりつつありました。
1分でわかる荘園と武士の成長同じころ、地方では何が起きていたのか8. まちがえやすいところ
- 国風文化は、894年に突然始まったのではない。中国の文化を受け入れ続けながら、少しずつ育った。
- かな文字ができても、漢字が使われなくなったのではない。公式な文書は漢文で書かれた。
- 清少納言と紫式部を逆にしない。清少納言=『枕草子』=定子。紫式部=『源氏物語』=彰子。
- 「十二単」は、のちの時代の呼び名。平安時代には、女房装束などとよばれた。
9. 平安時代の地図へ
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