1分でわかる
弥生時代
紀元前10世紀〜前4世紀ごろ(諸説)〜 3世紀ごろ
水田稲作と金属器が広がり、ムラがまとまって「クニ」が生まれていった時代。始まりの年代には説の違いがあり、地域によっても大きく異なります。
1分でわかる歴史弥生時代
弥生時代 まとめ
1. ひとことで言うと
米づくりと金属の道具が広がり、
ムラがまとまって「クニ」が生まれていった時代
ムラがまとまって「クニ」が生まれていった時代
大陸から伝わった水田稲作は、北部九州から時間をかけて各地へ広がりました。食べ物を「とる」暮らしに、食べ物を「つくる」暮らしが加わると、土地や水の使い方、人びとの協力のしかた、たくわえをめぐる関係も変わっていきます。やがて各地に小さなクニが生まれ、中国の歴史書にも「倭(わ)」の国々として記録されるようになりました。
2. 大きな流れ
ある日を境に、全国が一斉に変わったわけではありません。地域ごとに時間差があり、いくつもの変化が重なって進みました。
- 縄文の暮らし狩り・採集・漁を組み合わせ、ムラに定住する暮らしが長く続いていた。
- 水田稲作が伝わる大陸・朝鮮半島から、水田で米をつくる技術が北部九州に伝わり、数百年かけて東へ広がっていく。
- 金属器が加わる青銅器(祭りや宝として)と、鉄器(道具や武器として)が使われるようになる。
- 社会が変わる共同作業や水の管理、たくわえ、指導者の登場。墓や集落には、豊かさの差や争いの跡も見られるようになる(地域や時期で差がある)。
- クニが生まれるいくつものムラがまとまったクニが各地にできる。中国の史書には、紀元57年に奴国の王が使いを送り、印を授かったと記される。
- 広いまとまりへ2世紀後半ごろの争いのあと、3世紀には女王卑弥呼が、邪馬台国を中心とする30ほどの国をまとめたと記される。
- 古墳の時代へ3世紀ごろから、巨大な古墳をつくる有力者が現れ、ヤマト政権を中心とする時代へ移っていく。
3. 弥生時代は、いつ始まった?
始まりの年代は、研究で大きく動いた以前は「紀元前5〜4世紀ごろ」とされることが多くありました。その後、国立歴史民俗博物館が、土器に付いた炭化物などの年代を新しい方法で測り、北部九州で水田稲作が本格的に始まったのは紀元前10世紀ごろ、という説を示しました。どちらの年代を使うかは、今も資料によって違います。
広がるのに、数百年かかった稲作は北部九州から一気に広がったのではなく、地域によって数百年の差がありました。そのあいだ、縄文以来の暮らし方も各地に残っていました。
へえ「弥生」は、東京の地名から1884年、東京の弥生町(今の東京都文京区弥生)で見つかった土器が「弥生式土器」とよばれ、そこから「弥生時代」という名前が生まれました。
4. 弥生時代を、3つの入口から
① 暮らしと社会:稲作で何が変わった?水田、石包丁、高床倉庫、環濠集落、青銅器と鉄器。米づくりは、暮らしのリズムや人のつながり方まで変えていきました。1分でわかる稲作と弥生のくらし米をつくる技術が、社会のしくみまで変えた
② 文字の記録:中国の史書に見える倭弥生時代の日本列島には文字の記録がほとんどありません。そのため、中国の歴史書が、当時の様子を知る重要な手がかりになります。1分でわかる邪馬台国と卑弥呼何が分かっていて、何が分かっていないのか
③ 次の時代への流れ:クニから広いまとまりへ小さなクニの時代から、広い地域をまとめる勢力が現れ、古墳の時代へ移っていきます。1分でわかる小さなクニからヤマト政権へ弥生の終わりと、古墳の入口
5. 列島のすべてが「弥生」になったわけではない
- 北海道では、水田稲作が広がらなかった。狩りや漁を中心とする文化が続き、「続縄文文化」とよばれる。
- 沖縄などの南西諸島でも、本州などとは異なる文化の変化が続いた。本土が弥生時代に入ったあとも、狩りや漁、採集を中心とする暮らしが続いたとされる。
- 本州・四国・九州の中でも、時期も形もさまざま。稲作がいつ、どのように根づいたかは、地域によって大きく違った。
6. 次の時代へ:古墳の時代
各地のクニは、争いながらも結びつき、鉄や貴重な品を手に入れる道や、祭りのしかたを共有するなかで、より広い地域をまとめる勢力が現れていきました。3世紀ごろには、前方後円墳という大きな墓が各地につくられはじめます。その中心になったのが、ヤマト政権です。どこからを古墳時代とよぶかにも幅があり、変化は少しずつ進みました。この先は、古墳時代です。
1分でわかる小さなクニからヤマト政権へなぜ広いまとまりが生まれたのか7. つながる時代
ひとつ前の時代:1分でわかる旧石器・縄文移動の暮らしから、土器と定住の暮らしへ関連テーマ:吉野ヶ里遺跡/登呂遺跡/金印「漢委奴国王」/銅鐸
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