1分でわかる
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渡来人と大陸文化
4世紀〜6世紀ごろ(古墳時代)
大陸や朝鮮半島との行き来の中で、人と技術と考え方が入り、日本列島の社会は長い時間をかけて変わっていきました。
1分でわかる歴史古墳時代
渡来人と大陸文化 まとめ
1. ひとことで言うと
海を渡って来た人びとと、列島の人びとの交流の中で、
新しい技術や文字、考え方が根づいていった
新しい技術や文字、考え方が根づいていった
古墳時代には、朝鮮半島などから多くの人が日本列島へ渡ってきました。こうした人びとを渡来人とよびます。鉄の加工、須恵器、機織り、漢字などの技術や知識が伝わりましたが、それは「渡来人がすべてを教えた」という一方通行の話ではありません。列島の人びとが技術を受け入れ、使いこなし、ヤマト政権や豪族が技術者を組織していくなかで、長い時間をかけて社会が変わっていきました。
2. なぜ、人と技術が行き来したのか
背景は、ひとつではありません。
朝鮮半島の情勢朝鮮半島では、高句麗・百済・新羅や、加耶(伽耶)とよばれる地域の国々が、争いと交流をくり返していました。戦乱などをきっかけに、海を渡る人もいたと考えられています。
ヤマト政権が求めたものヤマト政権や各地の豪族は、鉄や進んだ技術を求めて、朝鮮半島の国々と深くかかわりました。1分でわかる古墳とヤマト政権倭の五王と、朝鮮半島との関係
交流は、弥生時代から続いていた稲作や金属器も、大陸・朝鮮半島から伝わったものでした。古墳時代には、その交流がさらに深まっていきます。1分でわかる稲作と弥生のくらし稲作と金属器が伝わった時代
3. 伝わった技術と知識
| 伝わったもの | 何が変わった? |
|---|---|
| 鉄の加工 | 鉄の農具や工具、武器が広がる。鉄は、はじめは朝鮮半島から多く手に入れていたとされる |
| 須恵器 | のぼり窯で高い温度で焼く、灰色でかたい焼き物。それまでの赤っぽい土器(土師器)とは別の技術 |
| 機織り | 布を織る技術が進み、衣服や布の生産が変わる |
| 馬 | 馬に乗る技術や馬具が広がる |
| 土木 | ため池や用水路をつくる技術などが進んだとされる |
| 漢字 | 記録や、外国との文書のやりとりに使われる |
ヤマト政権は、こうした技術をもつ人びとを、仕事ごとの集団に組織して、生産を担わせたとされます。
4. 漢字が使われはじめた
へえ漢字で書かれた、日本の人の名前埼玉県の稲荷山古墳から出た鉄剣には、「ワカタケル大王」や、剣を作らせた人物の名前が、漢字の音を借りて刻まれていました。漢字は、中国の文字でありながら、列島の人の名前や言葉を書き表すのにも使われはじめていたのです。
文字を扱う人びと外国への文書や記録には、文字を読み書きできる人が欠かせませんでした。渡来人の中には、こうした役目を担った人びともいたと考えられています。
5. 仏教が伝わる:飛鳥時代への入口
6世紀、百済の王から、ヤマト政権に仏像や経典が贈られたと伝えられています。その年は、538年とする説と552年とする説があります。仏教を受け入れるかどうかは、豪族のあいだで大きな争いにもなりました。仏教は、次の飛鳥時代の国づくりや文化に、大きな影響をあたえていきます。
6. まちがえやすいところ
- 「渡来人がすべてを教えた」わけではない。人の行き来と交流の中で、列島の人びとが技術を受け入れ、広げていった。
- 交流は、古墳時代に突然始まったのではない。弥生時代から続いていた。
- 須恵器と土師器を逆にしない。須恵器は灰色でかたい、新しい技術の焼き物。土師器は赤っぽい、弥生土器の流れをくむ土器。
- 仏教が伝わった年は、ひとつに決まっていない。538年説と552年説がある。
7. 1分で深掘り
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