アメリカ南北戦争

1分でわかる

アメリカ南北戦争

1861〜1865
A4で印刷できます。確認テストの答えは最後のページに付きます。
1分でわかる歴史アメリカ南北戦争

アメリカ南北戦争 まとめ

1. ひとことで言うと

奴隷制と貿易をめぐって、アメリカが「北部」と「南部」に分かれて戦った内戦(1861〜1865年)
いつ1861年〜1865年(約4年間)
だれとだれ北部(アメリカ合衆国) 対 南部(アメリカ連合国)
リーダー北部:リンカン(リンカーン)大統領 / 南部:デービス大統領
結果北部の勝利。国は1つにもどり、奴隷制が廃止された
日本では幕末。ペリー来航のあと、明治維新の直前のころ

2. 北部と南部はどうちがった?

いちばん大事なのはこの表です。「経済のしくみがちがう → 奴隷制と貿易で意見が対立」という順で理解しましょう。

北部南部
産業工業(工場)がさかん綿花などの大農園(プランテーション)
働き手工場で働く労働者アフリカから連れてこられた奴隷
奴隷制反対(広げるな)賛成(続けたい)
貿易保護貿易:外国の安い工業製品に税をかけて国内工業を守りたい自由貿易:綿花をイギリスにたくさん売りたい
人口・工業力多い・強い(戦争に有利)少ない

3. 流れ図

  1. 1852年ストウ『アンクル・トムの小屋』で奴隷制への批判が広がる
  2. 1860年奴隷制の拡大に反対するリンカンが大統領に当選
  3. 1861年南部の州が合衆国から離れ「アメリカ連合国」をつくる
  4. 1861年南北戦争が始まる
  5. 1863年リンカンが奴隷解放宣言を出す
  6. 1863年ゲティスバーグの戦いで北部が勝つ → リンカンの演説
  7. 1865年南部が降伏して戦争が終わる。直後にリンカンが暗殺される
  8. 1865年憲法が改正され、奴隷制が正式に廃止

4. 年表(だれが・何を・どこで)

年だれが(だれと)何を(どこで)
1852年ストウ(女性作家)『アンクル・トムの小屋』を出版
1860年リンカン大統領選挙に勝つ
★1861年北部 対 南部南北戦争が始まる(サムター要塞)
★1863年リンカン奴隷解放宣言を出す
1863年リンカンゲティスバーグで演説(ペンシルベニア州)
★1865年グラント(北) 対 リー(南)リー将軍が降伏し戦争が終わる(バージニア州)
1865年リンカン劇場で撃たれて亡くなる(ワシントン)

5. 覚える人物

人物ひとことで
リンカン第16代大統領・北部奴隷解放宣言を出し、北部を勝利に導いた。戦争が終わった直後に暗殺される
ストウ作家『アンクル・トムの小屋』で奴隷のつらさを描き、奴隷制反対の声を広げた
グラント北部の将軍北部の軍を率いて勝利。のちに第18代大統領になる
リー南部の将軍南部で最も有名な将軍。1865年にグラントに降伏
デービス南部の大統領南部がつくった「アメリカ連合国」の大統領

6. テストに出る言葉「ゲティスバーグ演説」

1863年、激戦地ゲティスバーグで、リンカンが亡くなった兵士を追悼して行った短い演説です。

「人民の、人民による、人民のための政治」

民主主義の考え方をもっともよく表した言葉として、教科書に必ず出てきます。「国の主人公は国民だ」という意味です。

7. まちがえやすいところ

  • 最初から「奴隷解放のための戦争」ではなかった。北部の最初の目的は、分かれた国を1つにもどすこと。途中で奴隷解放を掲げ、戦争の意味が大きくなった。
  • 奴隷解放宣言で、すぐに全員が自由になったわけではない。宣言は北部と戦っている南部の州の奴隷が対象。奴隷制が正式になくなったのは1865年の憲法改正。
  • 奴隷がいなくなっても、差別は残った。黒人差別はその後も長く続き、1960年代の公民権運動(キング牧師など)につながる。
  • 南部は「自由貿易」、北部は「保護貿易」。逆にしないこと。綿花を売りたいのが南部。

8. そのころ日本は?

南北戦争のころ、日本は幕末。ペリー来航から明治維新までの、日本も大きくゆれていた時期です。

年アメリカ日本
1853年ペリーが日本へ向かうペリー来航(浦賀)
1854年日米和親条約
1858年日米修好通商条約・安政の大獄
1860年リンカンが大統領に当選幕府の使節団がアメリカへ(咸臨丸)・桜田門外の変
1861年南北戦争が始まる尊王攘夷の動きが強まる
1862年生麦事件
1863年奴隷解放宣言・ゲティスバーグ演説薩英戦争・長州藩が外国船を砲撃
1864年四国艦隊が下関を砲撃
1865年南北戦争が終わる・リンカン暗殺(幕府と長州の対立が続く)
1866年薩長同盟
1867年大政奉還
1868年戊辰戦争・明治維新
① アメリカが日本の相手をしていられなくなった日本を開国させたのはアメリカなのに、その後の幕末の日本で目立つ外国はイギリスやフランスです。アメリカは南北戦争で国内が手いっぱいになり、日本への影響力が弱まったからです。
② 南北戦争の武器が、日本の戦争で使われた戦争が終わってアメリカで余った大量の銃が、商人を通じて日本へ売られました。それらは幕府と新政府が戦った戊辰戦争でも使われました。

9. 実はこれが…現代ではこうなっている

ゲティスバーグ演説 → 日本国憲法にも同じ考え方日本国憲法の前文の「政治の力は国民から来て、国民の代表が使い、その幸せは国民が受ける」という部分は、この考え方とよく似ていると言われます。
北軍の総司令官グラント → 東京・上野公園に木を植えたグラントは大統領を終えたあと世界一周の旅をし、1879年に日本に来て明治天皇と会いました。いま:上野公園には、グラント夫妻が記念に植えた木と記念碑が今も残っています。
南部の軍艦 → 日本の最後の内戦で戦った南部が注文した鉄の軍艦「ストーンウォール号」は、戦争が終わって使われなくなり、日本に売られました。いま:「甲鉄(こうてつ)」と名前を変え、新政府軍の艦として箱館戦争(五稜郭の戦い)で活躍しました。
奴隷の解放が伝わった日 → アメリカの祝日に1865年6月19日、テキサス州の奴隷たちに「もう自由だ」とようやく伝わりました。いま:この日は「ジューンティーンス」と呼ばれ、2021年にアメリカの国の祝日になりました。
リンカンの顔 → お金の顔に。でも1セント玉は…リンカンは5ドル札と1セント硬貨(ペニー)の顔になっています。いま:1セント玉は作るのに1枚約3.7セントもかかり赤字だったため、2025年11月に製造が終わりました。今あるものは使い続けられます。
戦死者の追悼 → 「メモリアル・デー」に南北戦争の戦死者は約62万人以上とされ、アメリカが戦った戦争の中で最も多いといわれます。いま:戦死者の墓に花をかざったのが始まりの「メモリアル・デー」(5月の最終月曜日)は、今も戦争で亡くなった人を追悼する祝日です。

10. ここまで覚えればテストOK

  • 南北戦争は 1861〜1865年
  • 北部=工業・保護貿易・奴隷制反対
  • 南部=綿花の大農園・自由貿易・奴隷制賛成
  • 北部の大統領は リンカン
  • 1863年 奴隷解放宣言
  • 「人民の、人民による、人民のための政治」(ゲティスバーグ演説)
  • 結果は 北部の勝利、奴隷制は廃止
  • そのころ日本は 幕末(開国〜明治維新)

ここから先はテストには出ません。でも、知っていると歴史が「人間のドラマ」として見えてきます。

11. もっと深く知ると… 裏話(戦争編)

裏話南部の名将リーは、最初は北部から誘われていた開戦のとき、リーは合衆国(北部)の軍から大きな役目を任せたいと打診されていました。でも故郷バージニア州が合衆国から離れたため、「故郷とは戦えない」と南部につきました。もし北部についていたら、戦争はもっと早く終わったかもしれない、と言う人もいます。
裏話奴隷解放宣言は「作戦」でもあった南部は綿花の買い手であるイギリスの応援を期待していました。でもイギリスはすでに奴隷制をやめていた国です。リンカンが「これは奴隷を解放する戦争だ」とはっきりさせたことで、イギリスは南部の味方をしにくくなりました。
裏話戦争は「私の家の台所で始まり、客間で終わった」最初の大きな戦い(1861年)では、マクリーンという人の農場が戦場になりました。彼は戦争から逃れて遠くの村に引っこします。ところが1865年、リー将軍がグラント将軍に降伏した場所は、なんと引っこした先のマクリーンの家でした。
裏話北軍には約18万人の黒人兵がいた奴隷解放宣言のあと、黒人も北軍の兵士になれるようになり、約18万人が戦いました。ただ、はじめは白人兵より給料が低いなどの差別がありました。

12. もっと深く知ると… 裏話(リンカン編)

裏話リンカンのひげは、11歳の女の子のアドバイス選挙の前、グレースという11歳の少女から「ひげを生やしたらもっとすてきに見えて、票が集まると思います」という手紙が届きました。リンカンはひげを生やし、大統領になってワシントンへ向かう途中、少女の町で彼女に会いに行きました。
裏話歴史に残る演説は、たった約2分ゲティスバーグの式典では、リンカンの前に有名な演説家が約2時間も話しました。リンカンの演説は約2分、英語で300語ほど。あとで、その演説家はリンカンに「私が2時間かけて言おうとしたことを、あなたは2分で言った」という意味の手紙を送ったと伝えられています。
裏話グラント将軍も、劇場に行くはずだった1865年4月、リンカンは劇場で芝居を見ている最中に、俳優のブースに撃たれました。この夜、グラント将軍夫妻も一緒に招かれていましたが、用事があって断っていました。
裏話ほとんど学校に行っていないリンカンは貧しい開拓農家の生まれで、学校に通ったのは全部合わせても1年くらいといわれます。借りた本を何度も読んで独学し、弁護士になり、大統領にまでなりました。
裏話若いころはレスリングの強者背が高く力も強かったリンカンは、若いころレスリングの試合でほとんど負けなかったといわれます。アメリカのレスリングの殿堂に名前が入っています。
裏話看護師クララ・バートン → 今の「アメリカ赤十字」戦場で傷ついた兵士を助けて回ったクララ・バートンは、戦後その経験をもとに1881年にアメリカ赤十字社をつくりました。

13. 確認テスト

名前 ________   /10点
  1. 南北戦争が始まったのは何年?
    答えを見る

    1861年

  2. このとき北部を率いた大統領はだれ?
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    リンカン(リンカーン)

  3. 南部で奴隷を使って大規模に作っていた、イギリスへの主な輸出品は何?
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    綿花

  4. 北部が求めた貿易は「自由貿易」「保護貿易」のどちら?
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    保護貿易

  5. 1863年に出された、南部の奴隷を自由にするという宣言を何という?
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    奴隷解放宣言

  6. 「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉が出てくる演説を何という?
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    ゲティスバーグ演説

  7. 奴隷のつらさを描いた『アンクル・トムの小屋』の作者はだれ?
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    ストウ

  8. 南北戦争が始まったころ、日本は何時代の終わりごろだった?
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    江戸時代(幕末)

  9. 南北戦争が終わったあと、アメリカで余った銃が使われた日本の戦争は何?
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    戊辰戦争

  10. 北部の将軍で、のちに大統領になり日本にも来た人物はだれ?
    答えを見る

    グラント

✂ 答え(切り取るか、折って隠して使いましょう)
  1. 1861年
  2. リンカン(リンカーン)
  3. 綿花
  4. 保護貿易
  5. 奴隷解放宣言
  6. ゲティスバーグ演説
  7. ストウ
  8. 江戸時代(幕末)
  9. 戊辰戦争
  10. グラント

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